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出典検索?: "愛する二人別れる二人"
愛する二人別れる二人
ジャンルヒューマンバラエティー
出演者みのもんた、美川憲一ほか
オープニング「なみだの操」殿さまキングス
エンディング「つぐない」テレサ・テン
製作
プロデューサー中村百合子、川上秀次郎
制作フジテレビ
放送
放送国・地域 日本
放送期間1998年10月19日 - 1999年11月8日
放送時間月曜 19:00 - 19:54
(1999年3月までは19:56終了)
放送分56→54分
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『愛する二人別れる二人』(あいするふたり わかれるふたり)は、1998年10月19日から1999年11月8日までフジテレビで月曜19:00に放送されたヒューマンバラエティー番組である。司会はみのもんたと美川憲一。
また、番組開始前の時期には『愛するふたり別れるふたり』との番組タイトルで番組宣伝が行われた。 一般から募集した夫婦が出場して、結婚生活の続行か、それとも離婚かというシビアな選択を行わせる番組として放送された。開始当初はカップルの結婚を取り持つ企画も並行して放送されたが、シビアな選択の方が数字を稼ぐとの判断から徐々に放送されなくなった。 スタジオでの収録は常に重苦しい雰囲気で、夫と妻の不倫相手などが掴み合いを始めたり、中尾彬やデヴィ夫人による出場者に対する発言に激怒して物を投げつける者もいるなどして、その度にスタッフが制止に入るというのが通例であった(時折、司会のみのもんたも制止に入った)。番組放送開始当初は一回の放送で2件の事案を扱っていたが、しばらくすると、相談者の一方の浮気を追及し一段落するとみのがもう一方の浮気を追及し新たな浮気が発覚、その浮気相手も登場してダンナと新たに喧嘩を始めるという一時間に一件の新パターンが編み出され、以後毎週同じ展開が繰り広げられ、以前のパターンはみられなくなる。なお、このようなパターン化は「やらせ」だったのでは、という批判を呼び起こし、それが実際に「やらせ」であった事が後に発覚している(経緯及び詳細は後述)[1]。また夫婦とゲストが話し合って、離婚を思いとどまりもう一度やり直すことを決めた後、美川が離婚届を破る場面も見られた。さらにみのが日本テレビ『午後は○○おもいッきりテレビ』の「ちょっと聞いてよ!おもいッきり生電話」コーナーやテレビ東京『愛の貧乏脱出大作戦』のように、出場者の夫婦に対して本気で激怒する態度を見せることもあった。 放送開始当初から不自然な演出が指摘されていたが、実際にはフジテレビは番組制作を下請けのジャパンプロデュースに一任していた。企画時に複数の局編成部員が反対する建白書を提出したが、編成部副部長(当時)の大多亮が反対意見を黙殺する形で押し切って番組を任せていた。 また、本番組に出演した一般女性がのちに自殺し発見された女性の遺書に本番組で「やらせ」が行われていたことが書き残されていたことにより、やらせの事実が発覚する。さらに警察の捜査の過程で番組制作の腐敗が明らかとなり社会問題となった(自殺した女性は夫婦との設定で番組に出演したが、実際は未婚だった)。 放送当時の関東地区のスポンサーだったマツモトキヨシ、P&G、アース製薬(関東地区以外でも一部系列局で番組スポンサーを務めた)らがこの事態を受けて「打ち切らなければ番組スポンサーを降板する」と表明した。フジテレビ内部からも「視聴率を得られても、番組の内容自体にあまりにも問題がありすぎる」という声が上がったことから番組の打ち切りが決定した。 問題発覚後、レギュラー出演者の中尾彬はやらせであることは局から聞かされるまでもなく最初からわかっていたとコメントしたが、その他の出演者はやらせであると直接聞かされてはいなかったとした。また、最終回の視聴率は本番組過去最高の27.4%を記録した。 本番組の最終回放送後の1999年11月15日に番組制作会社は「作為的な事実捏造」を否定し、(一般からの出演者が)本物の夫婦だと思っていたとの旨を発表した[2]。
番組の概要
やらせ発覚と番組打ち切り
備考
岩手めんこいテレビでは開始当初の半年間は週末午後の時間帯で遅れネットを実施していたが、それまで同時刻で放送していた自社制作番組『山・海・漬』の枠移動で、1999年4月から同時ネットに切り替えた。