意識(いしき、Consciousness)は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す[1]。
ただし、歴史的、文化的に、この言葉は様々な形で用いられており、その意味は多様である。哲学、心理学、生物学、医学、宗教、日常会話などの中で、様々な意味で用いられる。生物学や神経学など学術面では、意識の有無に注目した植物と動物の線引き[2]、ヒト以外を含む動物の意識が進化のどの段階で発生したか[3]も考察・研究されている。
日本語では、「ある物事について注意を払っている」という意味で「意識する」、「考え方や取り組み方について努力が行われている」といったことを表す場合「意識が高い(または低い)」といった言い方がなされる。たとえば公害や廃棄物などの問題についてよく勉強し、改善のために様々な行動や対策を行っている個人や集団を、環境問題についての意識が高い、などと表現する。このような用法は「遵法意識」「コスト意識」「プロ意識」「意識調査」「意識改革」など様々な表現に見られる。
学術的には、文脈に応じて意識という語は様々な意味で使用される。以下では、哲学、心理学、臨床医学をはじめとするいくつかの分野に分けて、代表的な意味を解説する。
語源「意識 (仏教)」および「en:Consciousness#Etymology
この節の加筆が望まれています。 ライプニッツの思想における、認識の光芒、 悟性、理性、感性、各々の役割を持つ。ライプニッツの影響を受けたクリスティアン・ヴォルフは、「意識」の概念を「知られている状態」(ドイツ語: Bewusstsein)と造語し名づけた。カントは、Cogitoを「純粋統覚」とみなし、すべての悟性的認識の根源であるとしたが、意識そのものの主題化には向かわず、各認識能力の身分と能力についての考察をその批判において展開した。 意識がドイツ哲学において全面的に主題化されるのはドイツ観念論においてである。フィヒテは、デカルトやカントが cogito/Ich denke から遡行的に知られるとした "ich bin" 我あり、をデカルトにおいてそうであったような個我の自己認識から、カントが主題化した超越論的認識能力の原理に拡大し、自我と呼び、その働きを定式化した。ここで自我とは意識の能力にほかならない。つまり、そのような自我は、自己自身を真正の対象とする活動、すなわち事行(独: Tathandlung)と把握され、この自らを客観とする認識主観としての自我を自己意識と呼ぶ。フィヒテのほか、シェリング、ヘーゲルらが自己意識を哲学の問題として取り上げた。シェリングは、対象化された自己意識を「無意識」と名づけた。ユングはシェリングが無意識の発見者であると指摘している。ドイツ圏における意識についての研究は1780年代から1810年頃まで盛んに行われたが、その後は存在論的哲学に座を譲った。 認知科学、人工知能の分野では、人間が人工知能に質問などをして、その人工知能があたかも人のように反応し、人から見て人と何ら区別がつかなければ、それをもってしてその存在は知能あるいは意識を持っていると見なしていいのではないか、とアラン・チューリングが提案した(チューリング・テスト)。 現代において、ヒトを含む動物の神経細胞や脳活動を計測する技術が進歩し、意識は医学以外の自然科学でも研究テーマとなっている。動物の神経細胞と電子回路の接続も成功している。五感などを基に脳で統合された感覚(クオリア)と、外部から計測された脳からの信号との関連は未解明であるが、意識が生まれる過程は電子計算機のアルゴリズムに類似しているという仮説もある。将来に向けて、電子計算機に「人工意識」を持たせる(動物の意識のアップロードを含む)研究も始まっている[4]。 19世紀中葉のヨーロッパでは、哲学から心理学が分科した。ヴィルヘルム・ヴントは意識という概念を中心に心理学を組み立てようとした。意識は自分の感ずる「感覚」「感情」「観念」に分けられる。この三つの意識を自分自身が感じたままに観ることを内観法(ないかんほう)という。 行動主義心理学では、意識という概念を用いずに、刺激と反応という図式で人間の行動を理解しようとする。 精神分析学では人間の心を、意識・前意識・無意識の三つに分ける。 自分で現在認識している内容を意識という。つまり、我々が直接的に心の現象として経験していること、これは私の経験だと感じることのできることを総体的に意識という。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}意識は短期記憶・作動記憶と関係がある[要出典]、ともされる。 自分で現在認識していないが、努力すれば思い出すことができる内容を前意識という。 自分で現在認識しておらず、努力しても思い出せない内容を無意識という。精神分析学では通常の方法では思い出せない無意識下にあるものを、自由連想法などを用いて意識に持ってゆくことで無意識を理解しようとした。 ヒトの覚醒と睡眠は約24時間周期で繰り返される。24時間周期での睡眠-覚醒リズムは、ヒトの場合、生後15-16週齢から始まる[7] 。この地球の自転周期と同調したリズムはサーカディアン・リズムと呼ばれる。ヒトを含む哺乳類のサーカディアン・リズムは、左右の視神経が交差する視交叉 医療分野では患者の意識の状態を「意識レベル」という数値で評価する。特に救急医療や麻酔科学分野で用いられる。 意識の構成には「清明度」「広がり」「質的」の三つの要素が存在するが、このうち一般的に意識障害というと「清明度」の低下についてを指す。「広がり」の低下(意識の狭窄)は催眠であり、「質的」の変化(意識変容)はせん妄やもうろう 意識は脳の働きが活性化し、五感に対する刺激を感じ取ることが可能な状態である。「意識がある」とは、脳において刺激を認識することが可能であり、刺激に対し明確な反応を示す状態を指す。これに対して、 無意識は五感に対する刺激が脳で感じ取られず、刺激を認識していない状態である。
哲学
認知科学・人工知能における意識
心理学
精神分析学詳細は「精神分析学」を参照
機構(じょうこうせいもうようたいふかつけい、Ascending Reticular Activating System; ARAS)という構造が重要であることが知られている。上行性網様体賦活系を刺激すると眠りから覚める。逆にこの部位を破壊されると昏睡状態に陥る。上行性網様体賦活系の概念は1949年にMoruzziとMagounによってまとめられた[5][6]。
医療現場の「意識レベル」