CoCoが歌った『らんま.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄2』の主題歌「思い出がいっぱい」とは異なります。
「想い出がいっぱい/10%の雨予報」
H2O の シングル
初出アルバム『EMOTION』
B面10%の雨予報(オリジナル盤)
Good-byeシーズン(再発盤)
リリース1983年3月25日
1996年1月25日(再発)
ジャンルニューミュージック
アニメソング
レーベルKitty Records
作詞・作曲阿木燿子(作詞)
鈴木キサブロー(作曲)
チャート最高順位
週間6位(オリコン)[1]
1983年度年間20位(オリコン)
7位(ザ・ベストテン)[2]
1983年年間31位(ザ・ベストテン)
H2O シングル 年表
HELLO VIBRATION
(1982年)想い出がいっぱい/10%の雨予報
(1983年)Good-byeシーズン/振り向けばBroken Heart
(1983年)
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「想い出がいっぱい/10%の雨予報」(おもいでがいっぱい/テンパーセントのあめよほう)は、H2Oの5枚目のシングル。1983年3月25日発売。発売元はKitty Records(現・ユニバーサル ミュージックLLC)。
フジテレビで放送されたテレビアニメ『みゆき』の主題歌に起用された楽曲で、中学校や高校の音楽の授業や合唱コンクールで選曲されることも多く、幅広い世代に知られている楽曲である。 『みゆき』をテレビアニメ化する際に放送権を獲得していたのは、H2Oが所属するレコード会社・Kitty Recordsの親会社であるキティフィルムであった。 1980年に薬師丸ひろ子主演の映画、及びテレビドラマ『翔んだカップル』に提供した楽曲がスマッシュヒットしたものの、その後大きなヒットに恵まれず無名同然だったH2Oの起死回生を狙い、作詞作曲をいわゆるプロの作家に依頼。アニメは放送開始から視聴率も順調であり、それに伴って同曲も徐々に売り上げを伸ばしオリコンシングルチャートで最高6位、累計売上も40万枚を超えるヒット曲となった[1]。シングル5作目にして初めてオリコンシングルチャートにチャートインした作品であり[1]グループの知名度を引き上げた(レコードジャケットは「みゆき」のイラストとH2Oの写真が表裏一体になったものであった。発売から暫くは主にアニメ楽曲のコーナーに「みゆき」面を表に設置されることが大半であった)。 1983年7月21日、TBSテレビ『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーに初登場。それからおよそ1ヶ月後の同年9月1日に第9位に初ランクインを果たす。同年9月29日には最高位の第7位まで上昇、翌週の10月6日(第9位)まで5週間連続で、第10位以内にランクインした[2]。 ただし、今までの主に自分たちで楽曲製作をして足掻いて来たのに対し、大ヒットした同楽曲はプロの作家の手によるものであることにジレンマを抱くことがあり、手放しで喜べなかったところがあったと言う[3]。また、本作品のヒットによりH2Oのイメージや新曲に青春を思い起こさせるものや切ない恋心などを求められ、脱却できず苦しんだ。引き続き『みゆき』の後期エンディング曲「Good-byeシーズン」を担当するが「想い出がいっぱい」のヒットには及ばなかった。その後も数作品を発売しているが、80年代半ばに差し掛かり、アイドル全盛期の歌唱曲や、いわゆるアイドルバンド(後にJ-POPと呼ばれるジャンル)がヒットチャートを賑わせており、フォークデュオ形態のH2Oの活動は蔭りをみせていた。1985年、所属事務所アミューズの担当マネージャーが寺内壮に変わり、初顔合わせをしたその席でH2Oは解散の意思を告げた。 1996年1月25日にCD化され両A面シングル『思い出がいっぱい/Good-byeシーズン』として再発売。c/wに「Good-byeシーズン」と「想い出がいっぱい」のカラオケバージョンを収録している。 H2Oの作品でオリコンシングルチャートでチャートインしたのは本作、次作と、本作のセルフカヴァーバージョンの3作のみである。しかしながら本作がその売上以上の知名度と影響を獲得し、アニソン史上のみならず80年代の日本歌謡曲史に残る一曲として挙げられることも少なくない。
誕生の背景と評価