悩み多き者よ
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「悩み多き者よ」
斉藤哲夫シングル
初出アルバム『君は英雄なんかじゃない
B面とんでもない世の中だ
リリース1970年2月5日 (1970-02-05)
規格.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

7"シングルレコード

URS-0025

録音

東京スタジオセンター・第3スタジオ

1969年12月27日 (1969-12-27)(悩み多き者よ)

1970年1月9日 (1970-01-09)(とんでもない世の中だ)

ジャンルフォークソング
時間5分09秒
レーベルURCレコード
作詞・作曲斉藤哲夫
プロデュース早川義夫
斉藤哲夫 シングル 年表

-

悩み多き者よ

(1970年 (1970))


されど私の人生

(1971年 (1971))


君は英雄なんかじゃない』 収録曲

Side A

6/8 無題(素晴らしい人生)

明日になれば

悩み多き者よ

君は英雄なんかじゃない

Side B

時は矢の様に

斧をもて石を打つが如く

日の丸

とんでもない世の中だ


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『悩み多き者よ』(なやみおおきものよ)は、フォークソング歌手斉藤哲夫が、URCレコードからシングルレコードとして初めて出した曲である。
解説

ビートルズが好きで曲作りを始めるも、バンドサウンド的な曲作りはうまくいかず、その後出会ったフォークソングならできるんじゃないかと、ボブ・ディランの「時代は変わる」に出会ったことで、高校生のときに「悩み多き者よ」ができあがる[1]

当時スターだった高石友也の高石事務所が主催するアマチュアが出演できるステージに出る中で渡辺勝と出会い、立教大学の音楽サークル「オーパス」(岡田徹白井良明武川雅寛が在籍)とも知り合う。斉藤が渡辺に「8分の6拍子でピアノを付けてくれる?」と頼んだところ、カンツォーネ風に弾き出したあたりで、「悩み多き者よ」の形が作られていく。「オーパス」から派生した音楽サークル「ルネッサンス」が、ライブをやるのでそこでこの「悩み多き者よ」を歌っていたところで早川義夫に出会い、URCレコードからデビューすることになった[1]

レコーディングでは、早川義夫のダメ出しをくらい、この「悩み多き者よ」をテイク20回以上歌わされたという[2]

できてすぐのレコードを、大学生になったばかりの斉藤は卒業した明治学院高校に持ち込んだところ、先生がチャペルで行われた朝礼でかけてくれて、そのレコードを当時在校生だったアルフィーのメンバーも聴いたという[1]
収録曲

全作詞・作曲:斉藤哲夫
SIDE A
悩み多き者よ  ? (5:09)

SIDE B
とんでもない世の中だ  ? (5:12)

レコーディング・メンバー
ミュージシャン

唄、12弦ギター:斉藤哲夫

ピアノ:
渡辺勝、斉藤広一

タンバリン:斉藤広一

コーラス:友人たち

スタッフ

制作:つげ春花


美術:藤尾秀人

技術:桑元邦彦

カバー
悩み多き者よ

オフ・コース  ? 『秋ゆく街で ? オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』(1974年12月20日 (1974-12-20)) ※1974年10月26日 (1974-10-26)中野サンプラザで行われたリサイタル“秋ゆく街で”を収録した、ライブ・アルバム。「傘がない」(井上陽水)とのメドレーで演奏。

脚注[脚注の使い方]^ a b c「D's Talk session #19 with 斉藤哲夫 ”稀代のメロディメーカー、哲夫さん”」2020年11月2日閲覧。
^ 『日本フォーク私的大全』なぎら健壱著、1995年、筑摩書房、151頁。

関連項目

1970年の音楽


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