恵比寿_(渋谷区)
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恵比寿
町丁
恵比寿の街並み
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度38分38秒 東経139度42分55秒 / 北緯35.64395度 東経139.715139度 / 35.64395; 139.715139
日本
都道府県 東京都
特別区 渋谷区
地域渋谷地域

人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口15,112 人
 世帯数9,586 世帯

面積[2]
 0.692218759 km²
人口密度21831.25 人/km²
郵便番号150-0013(以下を除く)[3]
150-60XX(恵比寿ガーデンプレイス(XX=地階・階層不明の場合は90、1階以上は階数))[4]
市外局番03(東京MA[5]
ナンバープレート品川
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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恵比寿(えびす)は、東京都渋谷区地名である。現行行政地名は恵比寿一丁目から恵比寿四丁目。住居表示実施済区域。
概要

住所が「恵比寿」である町域はJR恵比寿駅東部周辺の区域に限られるが、一般には恵比寿駅西部周辺の「恵比寿西」町域、「恵比寿南」町域、さらには目黒区三田の一部まで含めた地域が「恵比寿」として呼び示される。

恵比寿の地名は「ヱビスビール」に由来する[6]サッポロビールの本拠地として、ビール広場・ビール坂・ビール橋[注釈 1]などの名称が残っている。なお、商標のヱビスは「YEBISU」と表記されるが、町名や駅名のローマ字表記は「Ebisu」である。

1994年平成6年)、ビール工場跡地の再開発事業として「恵比寿ガーデンプレイス」が開業、街は大きな変貌を遂げた。現在メディアでは、お洒落な街、住みたい街としても取り上げられることがある。
地理2018年の恵比寿の空撮

渋谷区・渋谷地域の最東・最南部に位置し、港区白金白金台南麻布)・品川区上大崎)・目黒区三田)との区境に当たる。
河川


渋谷川

恵比寿橋

新橋

新豊沢橋

天現寺橋


JR線路

恵比寿南橋(通称:アメリカ橋)


地価

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、恵比寿3-21-2の地点で137万円/m2となっている[7]
歴史
江戸時代

この周辺は江戸時代には、下渋谷村・三田村と呼ばれており、渋谷川三田用水に挟まれる農村で、大名の下屋敷が点在していた。
明治以降

1887年明治20年)、日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身)がこの地に工場建設用地を取得し[6]、2年後の1890年(明治23年)に発売されたビールは、「ゑびすビール」と名づけられて人気を博した[8][6]。翌1891年(明治24年)には、ビールの運搬のために日本鉄道品川線(現在の山手線)に貨物駅が開設され、「恵比寿停留所」と命名された[6]

1906年(明治39年)には、貨物駅のそばに同名の旅客駅が開始された[6]。その頃から駅周辺地域が「恵比寿」と呼ばれ始め、それが定着していたこともあり、駅の東側から白金に向う現在のバス通りに沿って、「恵比寿通り1・2丁目」という町名がつけられたのが1928年昭和3年)のことである[9][8][6]。その後幾度かの地名改正を受け、他に隣接する町などを統合して現在の恵比寿という地名に至る。恵比寿神社
戦後

1959年(昭和34年)、ヱビスビールの名にあやかって西宮神社(兵庫県)の恵比寿様の分霊を勧請され、恵比寿神社が作られた。恵比寿の地名の起源となったビール工場は1988年(昭和63年)、千葉県に移転、跡地は再開発されて恵比寿ガーデンプレイスとなった[注釈 2]1966年(昭和41年)7月1日住居表示が実施された[10]

現在の恵比寿一丁目は山下町、恵比寿二丁目は新橋町および豊沢(とよさわ)町、恵比寿三丁目が伊達(だて)町、恵比寿四丁目が景丘(かげおか)町であった[11][12]

伊達町の名称は宇和島藩伊達家の下屋敷があったことに由来する[13]。景丘は、近代以前は欠塚(かけづか)と呼ばれていた地域で、現在は同地域にある加計塚(かけづか)小学校にその名残がある。その他にも旧地名は町会名として残っており(豊沢町会、伊達町会)、また、恵比寿二丁目交差点を頂上とする坂を「伊達坂」と呼び、恵比寿二丁目交差点の別称は「伊達坂上」である。また、現在でも、児童遊園名、マンション名やビル名などに伊達町、豊沢町の名を散見することができる。
地名の変遷

実施後実施年月日実施前(いずれも渋谷町。特記なければ各字名ともその一部)


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