恵比寿ガーデンプレイス
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恵比寿ガーデンプレイス
Yebisu Garden Place

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施設情報
所在地東京都渋谷区恵比寿四丁目20番、
東京都目黒区三田一丁目4番、13番
住居表示。各棟で異なる。)[1]
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度38分32.6秒 東経139度42分50秒 / 北緯35.642389度 東経139.71389度 / 35.642389; 139.71389座標: 北緯35度38分32.6秒 東経139度42分50秒 / 北緯35.642389度 東経139.71389度 / 35.642389; 139.71389
状態営業中
着工1991年8月26日[2]
竣工1994年9月1日[2]
開業1994年10月8日[3]
用途事務所店舗ホテル美術館共同住宅駐車場
建設費約2,950億円[2]
各種諸元
敷地面積82,365.31 [4]
建築面積31,601.73 [4]
延床面積476,125.62 [4]
関連企業
設計久米設計住宅・都市整備公団[2]
施工A工区:大成建設東急建設新井組青木建設五洋建設飛島建設鴻池組前田建設工業伊藤組土建
B工区:鹿島西松建設三井建設東亜建設工業鉄建建設大日本土木地崎工業大木建設松井建設[4]
デベロッパーサッポロビール住宅・都市整備公団[2]
管理運営サッポロ不動産開発
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恵比寿ガーデンプレイス(えびすガーデンプレイス、英語: Yebisu Garden Place)は、東京都渋谷区恵比寿及び目黒区三田に所在する再開発地区・複合商業施設である。

サッポロビール工場跡地の再開発事業として計画され、1994年に開業した。本項では管理運営にあたるサッポロHD傘下のサッポロ不動産開発についても記載する。
概要恵比寿ガーデンプレイス

「恵比寿ガーデンプレイス」はオフィスビル商業施設レストラン集合住宅美術館などで構成されており、事業主であるサッポロホールディングスサッポロビールの本社も所在する[3]

施設の入口は、東日本旅客鉄道(JR東日本)恵比寿駅からおよそ400メートル南にあり、駅とは冷房付きの動く歩道「スカイウォーク[注 1]」(約400m)によって結ばれている[5]。施設所在地は、北側半分が渋谷区恵比寿四丁目、南半分が目黒区三田一丁目である。

第37回BCS賞[6]、1997年日本建築学会賞(業績)、平成7年度都市景観大賞(都市景観100選)、空気調和・衛生工学会賞、電気設備学会賞を受賞。
歴史

1887年(明治20年)9月6日、日本麦酒醸造が目黒村三田および渋谷村にまたがる場所に創設した工場で「ヱビスビール」の製造を開始し、ビールを運び出すために場内に敷かれた引込線の日本鉄道[注 2]の小さな貨物駅は「恵比寿荷扱停車場」から「恵比寿駅」となり、周辺の地名も「恵比寿」となった[7]

長らく首都圏の主力工場として活躍してきた恵比寿工場であったが[8]、1980年代に入ると、老朽化し手狭となったためこれを移転し、その跡地を再利用する計画が社内で持ち上がり[8]、都が策定中だった「恵比寿地区整備計画」と連動しながら、具体的なプランとして次第に形を整えていった[8]

1987年、都は「恵比寿地区整備計画素案」を発表し、それに則りサッポロビールでは、「恵比寿工場跡地再開発計画 - 水と緑と山の手情報文化都市構想」を明らかにし、開発を自社の手で行い、本社も中央区銀座からこの地へ移す決定がなされ[8]、翌年、恵比寿工場は千葉県船橋市の京葉食品コンビナートに移転し、千葉工場として操業を始め、同年「恵比寿地区整備計画素案」は、「特定住宅市街地綜合整備促進事業(特住総)」として建設大臣の承認を受け、工場跡地はその「主要な街区」に位置づけられ、住戸約1000戸を含む複合都市として開発を進めることになった[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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