恵公
燕
公
王朝燕
在位期間前545年 - 前536年
諡号恵公
没年紀元前535年
父懿公
恵公(けいこう、生年不詳 - 紀元前535年)は、春秋時代の燕の君主。名は款。懿公の子。紀元前545年、懿公の後を受けて燕国の君主となった。
紀元前539年、恵公は大夫たちを解任して、寵臣を大夫に立てようとしたため、大夫たちの反発を受けた。寵臣宋を殺害されると、恵公は斉に亡命した。
紀元前536年、斉の景公が晋に赴き、燕に対する共同の出兵を申し入れた。晋の平公はこれを受け入れ、晋と斉の連合軍が燕を攻撃した。紀元前535年、燕の国人たちは屈服し、恵公は帰国できたが、まもなく死去した。
参考文献
『史記』燕召公世家
『春秋左氏伝』昭公3年、6年 - 7年
先代:
懿公燕の君主
紀元前545年 - 紀元前535年次代:
悼公
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