恩彦君
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恩彦君
宗親世
正一品君
顕禄大夫
[1]
続柄荘祖庶一子
諡号忠貞
配偶者常山郡夫人宋氏
氏名不詳女
全山郡夫人李氏
子女常渓君
李昌順
李昌徳
李成得
李鉄得
豊渓君
全渓大院君
^ 大典会通では輔国崇禄大夫。位階正一品相当。

恩彦君(おんげんくん、ウノングン、乾隆19年5月29日1754年7月18日) - 嘉慶6年6月13日1801年7月23日))は、朝鮮王朝の王族で、22代国王正祖懿昭世孫の異母弟。名は?(イン、?)。のちに皇帝高宗により皇帝に追尊され「荘祖」と諡された荘献世子の息子である。
生涯

正祖の妃の孝懿王后金氏の不妊により起こった、洪国栄が恩彦君の息子の常渓君を正祖の後継者に据えようとした事件が露見したことで、常渓君は1786年に処刑され、恩彦君は江華島に流刑となった。死刑をまぬがれたのは、荘献世子の敵対勢力である老論僻派の要求を拒否した正祖のはからいであった。しかしカトリック信者である夫人宋氏が1801年の辛酉邪獄で殉教し、恩彦君も連座して死薬を賜った。恩彦君の息子の全渓君は2人の息子とともに江華島に流された。長男は早世したが、次男の李元範は、後に憲宗が後継者を残さずに死去したあと国王に擁立された。これが25代国王哲宗である。

ソウル特別市恩平区津ェ外洞山78-1番地、北漢山で枝山莉茉山で酉坐丘に埋葬された。しかし、朝鮮戦争中彼の墓地の位置は失われてしまった。
家族

父:
荘献世子1735年 - 1762年

母:淑嬪任氏(? - 1773年

弟:恩信君

異母弟:恩全君


妻:常山郡夫人宋氏(1753年 - 1801年、宋楽休の娘) 

長男:常渓君李潭(1770年 - 1786年

次男:李昌順

三男:李昌徳

四男:豊渓君李?(1783年 - 1826年恩全君の養子となる、一説には彼もの非嫡出という説がある)


妾:名前不詳(? - 1821年12月6日

庶子:李成得1775年 - 1817年11月27日

庶子:李鉄得(1780年 - ?)


妾:全山郡夫人李氏(1764年 - 1819年、李徳喜の娘)

庶子:夭折

庶子:全渓大院君李?(1785年 - 1841年、李快得)


系図

恩彦君の親類・近親・祖先の詳細?源系譜紀略(荘祖懿皇帝子孫)

←仁祖系 荘祖愃 懿昭世孫?
   
  正祖?22 文孝世子?
   
    純祖?23 翼宗? 憲宗?24
    
    淑善翁主  明温公主
  
    福温公主
 
    徳温公主
 
    永温翁主
 
  恩彦君? 常渓君湛 益平君曦 載悳 完鎔
       
    豊渓君?  景恩君載星
  
    全渓大院君? 懐平君明
   
    永平君景応 清安君載純 豊善君漢鎔 清豊君海昇
    
    哲宗?25 永恵翁主
  
  恩信君 南延君球 興寧君昌応 完林君載元 埼鎔


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