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この項目では、朝鮮語の恨について説明しています。仏教の恨については「恨 (仏教)」をご覧ください。
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出典検索?: "恨" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年12月)


各種表記
ハングル:?
漢字:恨
発音:ハン
ローマ字:Han
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恨(ハン[1])は、朝鮮文化においての思考様式の一つで、感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観をさす朝鮮語の概念。歴史学者の古田博司は朝鮮文化における恨を「伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望」[2]と説明している。しかし実際には、人を恨めば自身が楽になるという意味で使われる事が多い。歴史でみても序列で下の者や他国に擦りつける性質がみられ、現代でもそういった民族性が認められるため、自虐として使う者も稀に見られる。
定義

この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2018年11月)

朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれ[3]や妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものであり、この文化は「恨の文化」とも呼ばれる。

現代的なポストコロニアルアイデンティティとされる[4]

韓国大統領を務めた金大中は、著書『金大中哲學與對話集??建設和平與民主』のなかで、以下のように述べている[5]

「韓国の文化は「恨」の文化です。私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。」

『金正日和朝鮮統一之日』(平壌外文出版社)の著者である金明哲は、「『恨』とは、表現されずに溜め込まれた感情、恨み、つらみ、自責の念、そして日常の言葉で言えば『悲哀』を意味する。…社会的抑圧によって塞がれた挫折感、鬱屈した感情が存在し続ける限り、『恨』もまた存在し続ける」と説明する[5]

邵毅平(復旦大学)は、「恨」とは、要するに弱者哲学内向性の哲学であり、個人・国家が「恨」をかき集めることで、強者に抵抗する勇気を見出そうとしたものであり、「恨」を通じて、近隣の大国である中国日本圧力に抵抗しようとした、と指摘している[5]

上述の金大中の例のように、恨は古来からの朝鮮民族固有の感情だと説明されることは現在でも一般的である。しかしながら、心理学や民俗学、社会学などの学際的研究の進展とともに、恨は日本統治時代の朝鮮の植民地的言説から生まれた「創られた言説」に過ぎず、民族固有の感情ではないという見解も現れている[6]
歴史
概要 

朝鮮人は、自らを中華文明に勝るとも劣らない歴史をもつ優秀な民族であり、世界で最も純粋な血統をもつ民族だと信じている。欧米文化の影響を受けてきた韓国人の大多数でさえ、韓国人よりも北朝鮮人の方が血統の純粋な朝鮮民族だと考えており、このような認識が、韓国人コミュニティの閉鎖性と外国人嫌悪を助長している[5]。B・R・マイヤーズ(英語版)は、北朝鮮のプロパガンダの背景には外国人嫌悪があると指摘しており、この傾向は、日本の植民地時代に、日本人と同様に朝鮮人が世界の他人種より最も純粋な血統であるとする「内鮮一体」に端を発する。北朝鮮の民族主義者たちは、檀君神話が北朝鮮人の血統に純粋性を与え、日本の歴史よりも古い独自の歴史と文明があると信じている。北朝鮮が白頭山国家的シンボルにしたのは、日本富士山に対抗するためであり、富士山模倣する意味があった[5]。しかし、暴力が支配的だった20世紀を通じて、朝鮮東アジアのマイナーな存在であり続け、朝鮮の歴史は、その大半において、農耕文明中国儒教の影響により、他国を攻撃できるほど強くなく、遊牧民や海洋民族に対して常に守勢に立たされ続けていた[5]。他国から何度も侵略され続けた。朝鮮は有史以来、強大な隣国である中国に侵略され続け、中国を宗主国と仰ぎ続け、中国に朝貢し続け、中国の属国であり続けた。したがって、朝鮮人が中国に恨みを抱くのは当然であった。日清戦争後、朝鮮は台頭する日本に占領されてしまい、国籍名字を剥奪され、隣国である日本に対して恨みを抱くようになった[5]。北朝鮮は、南北が統一できないのは、歴史上かつてないほど長期間にわたって韓国に軍隊を駐留しているアメリカ人に原因があると考えており、アメリカ人に対しても深い恨みを抱いている。地球上、「」の哲学を信じる人は多いが、「恨」の哲学を信じる人は、おそらく朝鮮人だけである。朝鮮が歴史上受け続けてきた不正不幸に対して、真の償いと心からの謝罪がない限り、「恨」を抱き続けるということである。繊細で傷つきやすく、勝ち気で自尊心の強い朝鮮人は、自らの力のなさに目を向けるのではなく、「悪意のある世界に生きている」という外部に対する被害妄想をもち、有史以来、強大な隣国である中国日本侵略され続け、属国にされ続けてきたことによる隣国への「恨」は、教育を通じて次世代へと継承され続ける[5]

恨の文化は日本による韓国併合を前後として変化している。この恨の形成の裏には、儒教の教えや習慣が、本来の形を越えた形でエスカレートさせていったことが背景にあったと言われ、それは上位者の下位者に対する苛烈な扱いを正当化する解釈や、下位の者は過酷な立場を受容しなければならないとする解釈になった[要出典]。
併合前 「前近代韓国の恨」 

恨は、朝鮮半島代々の王権や両班による苛斂誅求を極めた階級的支配に対する民衆の抵抗意識と、漢代の昔より幾度となく朝鮮半島を襲った中国からの異民族(漢族モンゴル族女真族ほか)による侵略・征服で、永続的な服従を余儀なくされた「集団的トラウマと悲しみの記憶[7]」と定義される。しかし、韓国古典文学や演芸には喜びとユーモアがあふれており[8]恨が表面化しておらず、それを和らげる方法としてハッピーエンドのパンソリ叙事詩が機能していた[9]


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