恋の季節
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「恋の季節」
ピンキーとキラーズシングル
初出アルバム『とび出せ!!ピンキラ 恋の季節』
B面つめたい雨
リリース1968年7月20日
ジャンル歌謡曲
時間3分23秒
レーベルキングレコード
作詞・作曲岩谷時子(作詞)
いずみたく(作曲)
ゴールドディスク


第10回日本レコード大賞・新人賞

チャート最高順位

週間1位(オリコン

1968年度年間3位(オリコン)

1969年度年間4位(オリコン)

オリコン歴代シングルランキング18位

ピンキーとキラーズ シングル 年表

恋の季節
(1968年)オレと彼女
(1968年)


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「恋の季節」(こいのきせつ)は、ピンキーとキラーズの楽曲で、デビューシングル1968年7月20日に発売。

公称売上枚数は270万枚[1]。オリコン累計売上は207.7万枚。オリコンチャート17週1位はシングルチャート上では未だに破られていない[2]1968年1月に正式スタートしたオリコン集計において、日本初のダブルミリオンシングルである。

1969年2月には、同名の映画が奈美悦子主演によって松竹から公開された(後述)。
解説
ピンキーとキラーズのデビュー曲となるまでの経緯

「恋の季節」は、元々ピンキーとキラーズのために用意された曲ではなかった。1968年頃、遠藤周作がレギュラー出演した『こりゃアカンワ』(日本テレビ)の番組内に『今月の歌』というコーナーがあった。同番組のホステス役を務めた倍賞美津子がそのコーナーで歌うための曲として、作曲者のいずみたくと作詞家の岩谷時子に楽曲制作が依頼された[3]

そして出来上がったのが「恋の季節」だが、『今月の歌』の5月に披露される予定だったことから、タイトルは当初「恋の五月」だった。また、この時ピンキーとキラーズはこの曲のバックコーラスを担当する予定だったが、いつの間にか自分たちのデビュー曲となることが決まり、ルイスたちメンバーも驚いたという[3]
詞について

「恋の季節」の歌詞にある『夜明けのコーヒー』というフレーズは、作詞を手がけた岩谷が越路吹雪とともに、フランスパリのカフェを訪れた際に生まれたとされていた[4]。しかし、ルイス高野[注 1]、笹森文彦[注 2]田家秀樹(音楽評論家)の対談によると、「『夜明けのコーヒーふたりで飲もうと』のフレーズは、越路が若い頃に実際に言われたエピソードが基になっている。ある時ブラジルで開かれた音楽祭に越路が訪れた際、現地で出会った若いフランス人の役者に上記の言葉で口説かれた[注 3]。帰国した越路はこのエピソードを岩谷に話し、その後岩谷が「恋の季節」を作詞することになった時にそのまま引用された」という[3]

同作の歌詞全般についてルイス、笹森、田家から「女性ならではの瑞々しい感性が素晴らしく、柔らかくてどこかアンニュイさが漂いながらもいやらしい感じにならず、むしろ品がある。歌詞の中の女性の、現在の冷めきってしまった恋心と、過去の燃え上がるような恋心との対比が実に鮮やかである」と評されている[3]

ボーカル今陽子は、作詞を手がけた岩谷を「音楽の母」、作曲を手がけたいずみを「音楽の父」と慕っている[5]
曲について

先述のルイス、笹森、田家の対談によると「ヒットの要因は、Aメロとサビだけで構成されておりメロディラインもシンプルながらキャッチーで歌いやすいこと」とされる。「しかし、決して単調にならないのはそれまでの日本の歌謡曲には少ない、ボサノヴァの雰囲気があるため」としている。ルイスによると「こういう曲のイントロは、本来ならギターの低音とベースの音を重ねることが多い。しかし、この曲では譜面上にはない微妙な“ズレ”を意図的に作り、ラテン的なグルーヴ感を出している」と分析している[3]。 

当時ボーカルの陽子はこの曲のリハーサルの時に、歌い方についていずみから何度も「もっと演歌っぽく!」と熱のこもった指導をされた。これについてルイスは、「おそらくいずみさんの頭の中に同じような形態のGSソングで1967年にヒットした、美空ひばりさんの「真っ赤な太陽」のイメージがあり、その歌い方を陽子に真似させたかったのでは?」と回想している[3]

1968年12月、『第10回日本レコード大賞』新人賞(グループ部門)を獲得。番組での歌唱披露時、陽子は感極まって涙声となるシーンがあった。演奏時には、作曲のいずみが指揮を担当した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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