恋のピンチ・ヒッター
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「恋のピンチ・ヒッター」
ザ・フーシングル
B面サークルズ(インスタント・パーティ)(UK)
ワルツ・フォー・ザ・ピッグ(UK ,US)
リリース1966年3月4日 [1]
1966年5月7日[1]
規格7インチ・シングル
録音1966年2月 ロンドン オリンピック・スタジオ[2]
ジャンルロック
時間3分47秒
レーベルリアクション・レコード
アトコ・レコード
作詞・作曲ピート・タウンゼント
プロデュースピート・タウンゼント
チャート最高順位


5位(イギリス[3]

ザ・フー シングル 年表

マイ・ジェネレーション
(1965年)恋のピンチ・ヒッター
(1966年)リーガル・マター
(1966年)

ミュージックビデオ
「Substitute」 - YouTube


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「恋のピンチ・ヒッター」(Substitute)は、イギリスロックバンドザ・フーの楽曲。1966年に4枚目のシングルとしてリリースされた(実質5枚目)。作詞、作曲とプロデュースはピート・タウンゼント。オリジナルアルバムには未収録。
解説

前作までのプロデューサーだったシェル・タルミーと決別し、タウンゼント自らプロデュースした最初の作品である。全英2位を記録した「マイ・ジェネレーション」に続き、全英5位につけるヒットとなった。この曲はタウンゼントのデモ・テープから作った最初の作品であった[2]アコースティックギターが使用され、前作に比べキャッチーな曲調になっている。人種問題に敏感なアメリカでは、「俺は白人に見えるが俺の親父は黒人だ」という歌詞が「俺は前に進もうとしてるのに足が後に向かう」に変更されている[2]。この曲のリアル・ステレオ・バージョンは存在しない[4]

ギターワールド誌が選ぶ「偉大なる12弦ギターソング」で、18位に選ばれている[5]
発売をめぐるトラブル

本作をリリースする前の1966年1月、ザ・フーはタルミープロデュースの下、「サークルズ」と「インスタント・パーティ」をレコーディングするが、それから間もなく印税の取り分をめぐる対立から、バンドはタルミーとの契約を破棄した[6]。だが、本作のB面に収録された「サークルズ」(タルミーのもとで録音したものとは別のバージョン)が著作権侵害に当たるとして、タルミーは裁判所に本作の発売停止を訴えた[7]。ザ・フー側はこの動きを見越してB面曲を「インスタント・パーティ」(音源は「サークルズ」と同じ)と表記したバージョンもリリースしていたが無駄に終わった[7]

本作は発売5日で発禁処分となってしまうが、注文が殺到していた事、またこの発禁処分に抵抗する意味もこめて、タルミーを揶揄した「ワルツ・フォー・ザ・ピッグ」という曲をB面にしたバージョンをリリースした(なお、この曲は当時ザ・フーと同じリアクション・レーベルに所属していたグレアム・ボンド・オーガニゼーションが演奏したものであり、ザ・フーが一切関わっていないためか、2015年現在もザ・フーのどのカタログにも収録されていない)[8]。このため「恋のピンチ・ヒッター」は、3つのバージョンがリリースされたことになる。

タルミーはさらに、本作の売上に対抗するために、アルバム『マイ・ジェネレーション』からバンド側に無許可でシングルをカットした。その第一弾が皮肉にも「リーガル・マター」(法的問題)であり、そのB面にタルミープロデュース・バージョンの「サークルズ」が、「インスタント・パーティ」のタイトルで収録された[8]。タルミーはその後も「キッズ・アー・オールライト」、「ラ・ラ・ラ・ライズ」と執拗にシングルをカットしたが、いずれもチャートの上位には届かなかった[9]

このように様々な問題に苛まれた「恋のピンチ・ヒッター」だが、それでもUKチャートの5位に入るヒットとなった。アメリカでもこの人気に乗じシングルリリースするが、こちらはチャートインしなかった[8]。なお、タルミーは本作のプロデュースに関しても自分が行ったと主張している[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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