怪人二十面相
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この項目では、江戸川乱歩の小説中に登場した怪盗について説明しています。その他の用法については「怪人二十面相 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「怪人四十面相」はこの項目へ転送されています。テレビドラマについては「名探偵明智小五郎シリーズ 怪人四十面相」をご覧ください。
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怪人二十面相(かいじんにじゅうめんそう)は、江戸川乱歩の創作した架空の大怪盗。同じく江戸川乱歩の作品の数々に登場する名探偵明智小五郎や、彼の助手・小林少年と彼率いる少年探偵団がライバルとなっている。日本人で、本名は遠藤平吉(えんどう へいきち)。

黒マントにタキシード、黒いアイマスク[注 1] が二十面相の有名なイメージだが、これは「少年倶楽部」の挿し絵に描かれた姿であり、映画やドラマではたびたび採用されるが、乱歩の原作中に登場したことは一度もない。

1936年(昭和11年)に『怪人二十面相』で初登場し、乱歩作品では1962年(昭和37年)まで、おもに少年少女向け探偵小説『少年探偵シリーズ』に登場した。『妖怪博士』後の戦争(第二次世界大戦)中は息を潜めていたが、日本敗戦後の『青銅の魔人』にて復活。以降は逮捕・脱獄・偽装死を繰り返しながらも明智や小林率いる少年探偵団と対決し、『透明怪人』での逮捕後は、『怪人四十面相(かいじんしじゅうめんそう)』とも名乗る様になっている。
人物

年齢は三十歳前後。変装の天才であり、声色も自由に変えることが出来る。「どんなに明るい場所で、どんなに近寄ってながめても、少しも変装とはわからない、まるで違った人に見え、老人にも若者にも、富豪にも乞食にも、学者にも無頼漢にも、いや、女にさえも、まったくその人になりきってしまうことが出来る」、「賊自身でも、本当の顔を忘れてしまっているのかもしれない」という大怪盗であり、「まほうつかいのようなふしぎなどろぼう」である。「二十面相」という名前であるが実際には二十以上の顔を持っており[注 2]、この点から倍の数となる「四十面相」の名を名乗った事もある。しかし、乱歩は「四十面相に名前を変えたのは失敗だっ」たらしい。「一つのみょうなくせ」があり、「なにかこれという貴重な品物をねらいますと、かならず前もって、いつ何日(いつか)にはそれを頂戴に参上するという、予告状を送る」。

かつては名の知れたサーカス団で曲芸師をしていた経験から、基礎的な身体能力は非常に高く、また手品の様なトリックや仕掛けを考案する狡猾な頭脳の持ち主でもあり、二十面相の犯罪に道化師の扮装やサーカス、曲芸技がしばしば使われているのはこの為である。手錠抜けの名人でもあり、手錠をかけただけではすぐに手の自由を取り戻すことが出来る。『おれは二十面相だ!!』で二十面相は「俺は柔道五段の腕前だ」と自慢しているが、『怪人と少年探偵』ではなぜか「柔道三段」に腕前が下がっている。またフェンシングの名手でもある。趣味嗜好においてはウィスキー煙草等を嗜むが、過去の挫折を理由に自身を偉大な存在であると示したい自己顕示欲の反映からか、アジト内では金モールの入った将軍の様な軍服を好んで着ている。

初登場作品『怪人二十面相』の冒頭で、「人を傷つけたり殺したりする、残酷な振舞は、一度もしたことがありません。血が嫌いなのです」と説明されており、劇中で二十面相自ら「僕は人殺しなんかしませんよ」と公言している。『少年探偵団』のラストでは、自分もろともアジトを爆破し、明智らを巻き添えに爆殺すると脅したが、実際に爆発が起きたのは明智らが避難した後だった。『怪奇四十面相』では火事場に孤立した小林少年を「小林をたすけなければ・・・」との言葉を吐いて、我が身の危険も省みず救出に飛び込む場面もあり、「血がきらい」という「紳士盗賊」らしさを見せている。この為か、ピストル短刀は殆ど使用しない。

一方、『怪人二十面相』の冒頭の解説で「併し、いくら血が嫌いだからと言って、悪いことをする奴のことですから、自分の身が危ないとなれば、それを逃れるためには、何をするかわかったものではありません」と述べられ、「東京中の人たちはただこの一事を恐れ、二十面相の噂ばかりしている」というのが物語の出だしだった。実際に目当ての宝や金を手に入れる為ならば、殺人こそ犯さなくても、対象の宝の所有者や富豪の身内を誘拐してそれを人質にする形で身代金や宝を要求するといった卑劣な行いを平然としており、進退窮まって自爆で脅すパターンは他にも見られ、追い詰められたりすると盗賊らしく荒っぽい振る舞いに出る事がある。また、小林少年を始めとする少年探偵団の団員達に対しても、奇術や機械仕掛け、怪物の着ぐるみ等を用いて怖がらせたる事はよくあり、特に青銅の魔人や魔法博士、カブトムシ大王、妖人ゴングといった「怪人二十面相」とは異なる別人を名乗って犯罪を行う際は、やはり誘拐して人質にとったり、奴隷の様に扱って虐待紛いな行いをする事も厭わず、特に妖人ゴングを名乗った際は、小林少年をブイの中に閉じ込めて殺害しかけた事もある。他にも、『青銅の魔人』では、自らの目的の為に戦争で消息不明になった手塚氏に成り済まして手塚家に居座り、行方不明のままであった事に心を痛めていた妻や子供の昌一、雪子を騙すという卑劣な手段に及んでおり、物理的な暴力は好まないが、人の心を傷つける行いに関しては躊躇を見せない様子も見せる。『怪奇四十面相』ではいつもは玩具の拳銃で脅すところ、実銃を取り出して引き金を引いた(事前に明智が弾を抜いていたため不発)という場面があり、あるエピソードで明智を幽閉した際にも、直接殺すのが嫌いなだけで「君(明智)が脱出できずにこのまま死んで行くのは私の知った事ではないからね。」と嘯いて去っており、この時には明智からも二十面相を「凶賊」とも呼んでいる。

将軍の様な軍服をプライベートでは好んで着ていながら反戦主義者ぶる事があり、『宇宙怪人』では居並ぶ警察や明智ら大向こうを前に「戦争を起こして沢山の人を殺した悪い奴らがつかまらず、自分だけがつかまる」事に対して憤慨し、散々世間を騒がせた己の悪業を棚に上げて「戦争という大犯罪」を批判している。その一方で、「(星の世界から)攻められる前に、こちらから攻めたらどうだ」と、むしろ好戦的な熱弁を揮ってもいる。『透明怪人』や『電人M』でも反戦めいた発言をしている。

毎回、複数名義で入手した洋館などにからくり仕掛けを施してアジトに構え悪事を働いているのだが、毎回明智にしてやられる形で終わり、各ストーリーの最後で捕まって次のストーリーが始まるまでにはいつの間にか脱獄している事や死を偽装して逃走する展開が多い。
乱歩と怪人二十面相

怪人二十面相』が書かれた当時の少年誌には、少年探偵ものが数多く連載されていた。しかしこれらの作品では、探偵役を主人公の少年自らが担って、推理という難解な作業を行なっていた為、内容がそらぞらしく迫力にかけるものが大半であった。

雑誌『少年倶楽部』の編集者たちは、主人公の少年が探偵をするのではなく、主人公以外の大人が探偵役を担う事でより面白い小説が作れるのではないかと思い立った。そこで、編集者たちは誰がその探偵役を引き受けるべきかを議論したところ、「誰もの口から、明智小五郎の名が出て、異議なくそれにきまった」。

そこで『少年倶楽部』の編集者であった須藤憲三が、1935年(昭和10年)夏ごろ東京會舘で開かれた野間清治社長を囲む作家たちの親睦会で、乱歩に少年ものの連載の話をもちかけた。この時乱歩は「いかにも思いがけないことを聞いたふう」であったが、「なにがしかの興味が動いた様子」であったという。

当時の少年探偵ものは非現実に徹しきれないため盛り上がりに欠けるのだと考えた乱歩は、「思い切った非現実」的なものを書く事にした。そこで乱歩は「少年ルパンものを狙って」、敵役としてアルセーヌ・ルパンばりの大怪盗を登場させる事にした。

こうして1936年(昭和11年)1月から12月にかけて『少年倶楽部』誌に『怪人二十面相』が連載される事となった。従来なかった趣向の物語は大いに受け、子供からの手紙が乱歩のもとに驚くほど来たという。一年の連載が終わると講談社から単行本となり、これも多いに売れた。当時は『少年倶楽部』が発行部数では独り天下で、乱歩は『少年倶楽部』以外に書く気はなかったという。

明治末期から大正期に、三津木春影フリーマンコナン・ドイルの短編を翻案した『呉田博士シリーズ』という少年冒険探偵小説を連載して人気があった。乱歩が大学初年級時代に連載中の三津木が急逝し、その続編を雑誌が公募したことがあり、乱歩は下書きまで書いていたが、締め切りに間に合わずお蔵入りしたという。乱歩は「いずれにしても、そういうことがあったとすれば、私には少年ものの下地がなかったわけでもないのである」と述べている。

乱歩によると西洋の少年探偵小説は日本のもののようなどぎついものではなく、もっとおっとりしている。これは初めから本にするために書き下ろした長編であるためで、「日本のように毎月毎月読者をハラハラドキドキさせなければ受けない連載ものとは違う」のだといい、これを「日本は印税では引き合わないので、まず雑誌に連載するのが常道になっているという違いからくるのだ」と説明している。乱歩は「二十面相シリーズ」について「筋はルパンの焼き直しみたいなもので、大人ものを描くよりこのほうがよっぽど楽であった」と述懐している。

戦争が激しくなると、日本の文壇は軍部によって探偵小説執筆が禁止された。二十面相シリーズも中断してしまい、日本敗戦によってようやく再開が叶った。松村喜雄によると乱歩は日本敗戦の際、「探偵小説を禁止した日本軍が敗れ、陣中でミステリーを読んでいた米軍が勝った」と興奮して語ったという。戦後、シリーズが復活した『青銅の魔人』では、乱歩は大張り切りでこれに取り組み、当時生きるのにやっとという時代だけに、発売されるや子供だけでなく大人も文字通りこれをむさぼり読んだという。

戦後の光文社での連載では、「乱歩先生は暗い蔵の中で髑髏に乗せた蝋燭一本の明りをもとにお話を書いている」などと、乱歩自身が二十面相のように紹介されていた。実際はこれは作り話である。『二十面相』の連載による収入は、乱歩に経済的なゆとりを与え、金に執着しなかった乱歩の経済的危機や、戦後、報酬を度外視した探偵小説隆盛のための活動を支えた。またこのシリーズによって奇術的なトリック小説の面白さを知った少年少女のファンたちは、やがて推理小説の読者に育っていき、読者層を拡大すると同時に論理的思考の習慣を子供たちに植えつけたのである[2]
名前の由来

「二十面相」という名前は、トマス・ハンシュー(英語版)の『四十面相のクリーク』をまねたものである。当初乱歩は怪盗ルパンのように「怪盗二十面相」という名前にするつもりであったのだが、当時の少年雑誌倫理規定により「盗」という字を使うのはよくないとされ、「怪人」と改めた。作中では名前の由来は変装の名人であり、「その賊は二十の全く違った顔を持っている」からだと説明されている。

後に怪人二十面相は『怪奇四十面相』で、世間で自分が「二十面相」と呼ばれる事に不満を表し、「私の顔はたった二十ではなく、少なくともその倍の四十は違った顔をもっている」として四十面相(しじゅうめんそう)と変名しているが、これは明らかに『四十面相のクリーク』の影響である。


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