この項目では、英語における「thought」の和訳の1つについて説明しています。他の類似語については「思想」をご覧ください。
ポンペイの壁画、「紙とペンを持つ女」「思考」を表現するイラストレーション
思考(しこう、(英: thinking)は、考えや思いを巡らせる行動[1]であり、結論を導き出す[2]など何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する精神の活動である[3]。広義には人間が持つ知的作用を総称する言葉、狭義では概念・判断・推理を行うことを指す[1]。知的直感を含める場合もあるが、感性や意欲とは区別される[1]。哲学的には思惟(しい、しゆい)と同義[3]だが、大森荘蔵は『知の構築とその呪縛』(p152)にて思考と思惟の差について言及し、思惟とは思考を含みつつ感情なども包括した心の働きと定義している[4]。
論理学分野で研究されてきた思考の定義は定まっておらず[5]、多様な側面を持つ[6]。心理学分野の研究では、思考とは何らかの思想や問題対処法を立ち上げる心の過程や操作を示し[1]、その対象は問題解決、方略、推理、理解、表象(心像、観念、概念など)知識といった現象を取り扱う[7][6]。
漢字「思考」の「思」は、「田」が頭蓋骨の意味が転じた「頭脳の活動」、「心」が「精神の活動」を指す。「考」は知恵の意味「老」に終わりなく進む「て」が付属したものである。漢字全体では、頭や心で活動し、知恵を巡らせることを意味する[8]。
思考とは何かという疑問は、人類の歴史の中で繰り返し問いかけられてきた。ただし思考だけを独立させて取り扱うのではなく、知能や生命、さらに社会など総体的に人間が生きる側面のひとつとみなし、複雑系を構成する要素として組織的に扱う必要がある[9]。イマヌエル・カントは、近代的な個人の思考とはひとりでは成り立たせることは不可能であり、必ず他者と共同され、公開し、主観を共有する状態からしか生まれないと述べた。そうでないものを「未成年状態」と定め、それを脱却するために啓蒙が必要と説いた。したがって、言論の自由とは意思を発表する権利という点に止まらず、思考の権利でもあると考えた[10]。 思考とは、何らかの事象や目標などの対象について考える働きまたは過程の事であり[11][6]、対象となるものの意味を知る、または意味づけを行うことで働かせる理性的な脳や[12]心の作用を言う[13]。これには二つの意味がある[14]。 広義には「心」が動くことそのものを言い[14]、「内化された心像・概念・言語を操作すること」[15]である[12]。このような意味では、思考とは、心の中で自発的につくられた観念が、時間の経過とともにそれぞれが連鎖し変遷する「心的過程」のひとつと言うことが出来[16]、人間は常に何かを思考している[14]。逆に思考をしないためには心を空にする特別な修練を積む必要がある[14]。 狭義には、何らかの目標達成や問題解決のために行う一連の情報処理を指し、思考する対象の意味を理解しながら進められる認知的な行動である[14]。ここで思考が使う情報とは、記憶の中に分布するホログラムと言える[17][18]。そして思考は、組織化された外部情報を成分要素とする内的なシミュレーションと定義される[12]。これによって人間は様々な予測を得る。しかし、その予想精度には、精確で豊富かつそれらが有機的に繋がった情報(知識)を元に精確なモデルを構築し、それをさらに精確なシミュレーション(思考)に掛ける必要がある[12]。 狭義の思考は情報処理のひとつである。
思考の意味オーギュスト・ロダン『考える人』
広義と狭義
特徴