思弁的実在論
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思弁的実在論(しべんてきじつざいろん、: speculative realism)は、現代哲学の運動の一つである。これまで支配的だったポスト・カント哲学に反旗を翻し、形而上学的実在論(あるいは相関主義(correlationism)[1])に対する立場を緩やかに共有していることが特徴である。思弁的実在論という名称は、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジで2007年4月に行われた学術会議の名前から取られている[2]。その会議を組織したのはゴールドスミス・カレッジのアルベルト・トスカノ(英語版)であり、発表者に名を連ねた人物には、レイ・ブラシエアメリカン大学ベイルート校、当時の所属はミドルセックス大学)、イアン・ハミルトン・グラント(西イングランド大学)、グレアム・ハーマンアメリカン大学カイロ校)、カンタン・メイヤスーパリ高等師範学校)がいた。「思弁的実在論」の命名者はブラシエだとされるのが一般的だが[3]、それより先にメイヤスーが自らの立場を「思弁的唯物論(speculative materialism)」という言葉で呼んでいる[4]アルベルト・トスカノ

ゴールドスミス・カレッジでの第1回目の会議から2年後に、「思弁的実在論/思弁的唯物論」というタイトルで、第2回目の会議が2009年4月24日に西イングランド大学ブリストル校で開催された[5]。発表者は、レイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、グレアム・ハーマン、そして(メイヤスーが参加できなかったため)アルベルト・トスカノであった[6]
相関主義に対する批判

基本的な哲学的見解についてはしばしば不一致が見られるものの、思弁的実在論者たちが共有する思想として、イマヌエル・カント以来の人間の有限性を奉じる哲学に対する抵抗がある。

この運動の4人の主要メンバーに共有されている態度として、「相関主義(correlationism)」[7] あるいは「アクセスの哲学(philosophies of access)」を乗り越えようとしている点がある。メイヤスーは『After Finitude』にて相関主義を定義し、「我々は思考と存在の相関物にしかアクセスできず、片方を抜きにしてはそのどちらにもアクセスできないという考え」としている[8]。アクセスの哲学とは、実在に対する人間の優位を説く哲学のことである。このどちらも、人間中心主義的な思想である。

思弁的実在論の4人の主要メンバーは、人間を優位に置くこれらの哲学を転覆しようと試みており、現代哲学の多くに見られる観念論に対抗して、ある種の実在論を擁護している。
種類

思弁的実在論の主要メンバーとその支持者の間に共通する目的として、大陸哲学分析哲学の両者において支配的となっているポスト・カント哲学の影響を転覆することが挙げられるが、それぞれの論者の間には重要な差異も存在する。
思弁的唯物論

カンタン・メイヤスーは相関主義を批判する際に、カント哲学の中心には2つの原理があると主張している。1つ目は、相関の原理(Principle of Correlation)であり、我々は思考と存在の相関物しか知ることができない、つまり相関物の外部は不可知であるとする原理である。2つ目は、事実性の原理(Principle of Factiality)であり、物事は実際にそうなっているのとは異なった仕方でもありえたとする原理である。この原理は、物自体は不可知ではあるが想像可能であるという議論を擁護する際にカントが用いたものである。我々は実在を決して知ることはできないとしても、その実在が根本的に異なったものであると想像することはできる。メイヤスーによれば、これらの原理をどちらも擁護することで「弱い」相関主義が導かれる(例:カント、フッサール)。一方で、物自体を拒絶することにより、「強い」相関主義が得られる(例:ウィトゲンシュタインハイデガー)。この「強い」相関主義にとって、思考と存在の相関物の外部に何かを想定することは無意味とされており、したがって事実性の原理は破棄され、強化された相関の原理に置き換えられる。

メイヤスーは相関の原理を拒否する上で別の戦略をとっており、ポスト・カント的なヒュームへの回帰によって強化された事実性の原理を支持している。この原理を擁護する上で、メイヤスーはすべての物理法則のみならず、無矛盾律を除く全ての論理法則においても必然性という概念を拒絶している(無矛盾律が保持される理由は、これがないと、物事は常に、実際そうである仕方以外でもありえるという事実性の原理が成立しなくなってしまうからである)。充足理由律を拒絶することにより、物理法則における必然性を正当化するものは何もなくなる。つまり、宇宙がこのような仕方で秩序だっており、他の仕方で存在することはありえなかった、という理由は何もなくなるということである。メイヤスーはカント的ア・プリオリを拒絶し、ヒューム的ア・プリオリをそれに代わって採用する。そして、因果性についてヒュームから学ぶべき教訓とは、「まったく同じ原因は、100個(あるいはもっとたくさん)の異なる出来事を実際に引き起こしうる」[9] ことだとする。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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