怒り
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この項目では、感情について説明しています。吉田修一の小説、およびこれを原作とした映画については「怒り (小説)」をご覧ください。
The Anger of Achilles(アキレスの怒り)。 アガメムノンを攻撃するギリシャの英雄アキレスジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの絵画

怒り(いかり、: anger)とは、人間の原初的な感情のひとつで、様々な要因・理由で起きるもの。例えば目的を達成できない時、自分の思い通りにならない時、身体を傷つけられた時、侮辱された時などに起きるものである[1]。憤り(いきどおり)とも言う。特に激しい怒りは憤怒(ふんぬ。忿怒とも)と言われる。用言動詞的な表現としては「を立てる」「立腹」「カッとなる」「に来る」とも。また、一部の動物イヌネコなどの哺乳類、鳥類、その他)も怒りの感情を持つ。
原因

怒りは、人間の原初的な感情の一つで、様々な要因・理由で起きるものである。様々な説明の方法があるが、冒頭の説明を別の角度から説明すると例えば、怒りというのは「危険にさらされた」という意識・認識に起因している、と説明できることは多い。「危険にさらされた」というのは、身体的なこと、有形なことがらに限らず、自尊心名誉などの無形のことがらまで含まれる。

怒りのありがちな原因というのは、人生のステージごと、年齢層ごとに異なった傾向がある。幼児のうちは、怒りのありがちな原因というのは身体的な拘束である[1]。それが子供になってくると、厳格な規則であったり、自分に注目してくれないこと、などということが理由となる[1]青年期や大人になると、怒りの要因は身体的なことではなく、もっと社会的なものになってくる傾向がある[1]。大人では例えば、権利の剥奪、他人からの不承認、偽り・欺瞞などといったものが怒りの要因となる[1]

怒りは思い通りにならないとき、期待した反応が得られないとき、理不尽な対応を受けたとき、そして気持ちに余裕がないときに喚起しやすい。また、怒りの感情は出来事のみによって決まるものではなく、本人の受け止め方=意味づけの仕方やその時の心理状況によって決まるものである。同じような出来事に遭遇しても、それに対する反応の仕方は人それぞれ異なる。出来事が意味を持つのではなく、受け手が出来事に意味を与えている。つまり、怒りという感情を生成しているのは本人の心(本人自身)である。[2]
宗教における位置づけen:The Seven Deadly Sins and the Four Last Things, ヒエロニムス・ボッシュ (1485). 「怒り」は 円形の一番下に位置している。円の真ん中にラテン語で次のように書いてある。 「Cave Cave Deus Videt思い起こせ、思い起こせ、神は見ておられることを」

多くの宗教で、怒りは人間の最もネガティブな感情と捉えられている。憤り、怒ることを憤怒といい、キリスト教では、七つの大罪のひとつとされる。仏教では、怒りは人間を地獄界の精神状態に追いやり、死後最悪の条件に転生すると考える。また、ユニコーンドラゴン等が、憤怒を象徴する動物として描かれる事もある。

一方、は往々にして人間の中の正しくないものに向かって怒る存在であるが、ネガティブな感情であるとは限らない。ギリシア神話ローマ神話等では、怒りによりときに人間を滅ぼす場面も見られる。

仏教では、怒りは煩悩のうち、三毒とされる基本的な3つの・瞋・(とんじんち)のうち、瞋(しん)である。不動明王三宝荒神のように、貪瞋癡を許さんという慈悲が極まり、憤怒の相で表れて不浄を厭離し、仏法僧を守護する仏も見られる。磨滅するために怒りをわざと高めて悪しき心を陳伏すること。
哲学者らの見解

アリストテレスは次のように述べた。「然るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、そしてまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒る人は賞賛される」(アリストテレスニコマコス倫理学』)

ベンジャミン・フランクリンは次のように述べた。「怒りにはいつも理由がある。ただし、正当な理由はめったにない」[3]

セネカは『怒りについて』でストア派の立場から、怒りを抑制するべきものとして論じた。

アルフレッド・アドラーが提唱した「アドラー心理学」において、怒りは捏造できるものだと述べられている。

三木清は、怒りを肯定的にも捉えた。『人生論ノート』に「怒について」という章をもうけてこれを論じている。彼は怒りが否定的に捉えられている現状を認めつつ、以下のようにこれを批判している。彼は怒りが憎しみと混同されていることを問題視する。両者は確かに似たものではあるが、憎しみが極めて個人的な負の感情であるのに対して、怒りは常に突発的なものであり、それだけに純粋な、より深いものであるとする。

一般に、怒りは正常な判断力を麻痺させる、とされることは多い。
私憤・公憤

怒り(いきどおり)のうち、自身の個人的な事柄に関するいきどおりを「私憤」と言う[4]。それに対して、社会のに対して、自分の利害をこえて感じる憤りを「公憤」と言う[5]

例えば、ナイロンザイル事件において、家族を失った人が、その原因となったナイロン製のザイル(登山用ロープ)の開発者や製造者に怒りを抱くのはまず私憤である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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