忠次売出す_(1935年の映画)
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忠次売出す
監督
伊丹万作
脚本伊丹万作
原作伊丹万作
出演者市川朝太郎
月形龍之介
撮影三木茂
製作会社新興キネマ京都撮影所
配給 新興キネマ
公開 1935年2月28日
上映時間約106分
製作国 日本
言語日本語
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『忠次売出す』(ちゅうじうりだす)は、1935年昭和10年)製作・公開、伊丹万作脚本・監督による日本の長篇劇映画である[1][2][3][4]。伊丹万作の監督作における初のトーキー作品である[1][2][3][4][5]。昭和十年度キネマ旬報ベストテン第4位を獲得した。1955年(昭和30年)製作・公開、伊丹万作原作、八尋不二脚本、荒井良平監督による日本の長篇劇映画『悪太郎売出す』は、本作のリメイク作品であり[6][7]、同作についても本項で詳述する。
略歴・概要

本作は、伊丹万作にとって、片岡千恵蔵プロダクションでの脚本家、そして監督デビュー以来のキャリアを経て、同年、新興キネマ京都撮影所に移籍、同社で最初に手がけた作品であり、初めてのトーキー作品であった[5]

当時満33歳にして無名の歌舞伎俳優であった市川朝太郎は、舞台での好演を白井信太郎に認められ当時松竹傘下だった同撮影所に所属、これを主演の「長岡忠次」こと国定忠治役に抜擢された[8][9]。朝太郎は、のちに大映の監督になる加戸敏の実兄であり、当時、同撮影所演出部に所属していた加戸は本作の助監督を務めた[9][10]。録音を手がけた河野貞寿は当時、松竹京都撮影所に所属していた「土橋式トーキー」の土橋武夫の助手である[11]

本作は、同年2月28日に公開されたが、日活は、同日、日活京都撮影所のスター俳優大河内伝次郎主演、三村伸太郎脚色、山中貞雄原作・監督の『国定忠次』を公開しており[12]、本作の興行成績は、日活の『国定忠次』に及びもよらなかった。しかしながら、本作は「時代劇スター中心主義の映画界の風潮に痛撃を加え、新風を吹き込んだ」と評価される[5]。同年、昭和十年度キネマ旬報ベストテン第4位を獲得、これは、伊丹の監督作のなかでは前年度の『武道大鑑』(1934年)とタイであり、伊丹にとっては生涯最高位のランクインである。同日公開で興行的にも水をあけられた山中の『国定忠次』は、第5位であり、当時の評価としては『忠次売出す』が辛勝した。

本作に先行し、1933年(昭和8年)2月1日に河合映画製作社が、同一のタイトルのサイレント映画『忠次売出す』を長尾史録監督、市川百々之助主演で製作・公開しており、同じ若き日の国定忠治を主題とした映画ではあるが、同作は鈴木史郎(のちの鈴木史朗)のオリジナルシナリオによる作品であり、本作との関連性はない[1][2][3][4][13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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