滋賀郡(しがぐん)は、滋賀県(近江国)にあった郡。 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。 諸説があり、@「石の多いところ」を意味する「シカ(石処)」に由来するという説や、A砂州または低湿地を意味する「スカ(砂処)」に由来するという説、B志賀島の「シガ」に由来するという説がある。 @の地理的観点から考える説においては、他地域の「シガ」という地名も石の多いところを指していることが多いことから、滋賀は「石の多いところ」を意味する「シカ(石処)」に由来するという説が有力と考えられている。 Aの砂州または低湿地を意味する「スカ(砂処)」に由来するという説は、琵琶湖沿岸の低湿地を指しているとされるが、滋賀県以外の全国各地の「シガ」の地名で「スカ」から転じたと考えられるものはなく、滋賀だけが特別な例となるために考えがたいという意見もある。 一方、Bの歴史的観点から考える説では、琵琶湖西部は「志賀島」・博多地域に起源を持った阿曇氏の同族である[要出典][なぜ?]和珥氏・近淡海国造の本拠地で、全国に存在する一族の居住地にも「シガ・シカ」(四賀、志賀)という地名が見られるため、これらの氏族に由来する説が主張されている[1]。 知行村数村名
郡域
大津市の大半(瀬田川以西)
高島市の一部(鵜川)
歴史
郡名の由来
近世以降の沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は大津代官所が管轄[2]。●は村内に寺社領が、○は村内に寺社除地[3]が存在。(2町89村)
幕末の知行
幕府領幕府領2町
23村北田新田[4]、馬場町、松本村、大津町[5]、高畑村[6]、辻下村、平尾村、入江北新田、入江南新田、真野浜新田、○今堅田村、○真野北村、○真野浜村、真野新田、●生津村、小野村[7]、高城村、●○今宿村[8]、中浜村、南船路村、北船路村、守山村、●梅ノ木村[9]、大久保新田[10]、【下仰木村、佐川村、●北在地村】
幕府領・旗本領3村和邇中村、荒川村[11]、南比良村
藩領近江膳所藩17村外畑村、内畑村、南郷村、千町村、平津村、鳥居川村、北大路村、国分村、赤尾新田、八幡野新田[12]、別保村、中ノ庄村、膳所村、木ノ下村、西ノ庄村、南庄村、上竜華村、下竜華村
下野佐野藩12村●○本堅田村、普門村、●○衣川村、●向在地村、●下在地村、坂下村、木戸口村、中村[13]、細川村、貫井村、町居村、○北比良村
近江宮川藩3村○南浜村、○木戸村、大物村
山城淀藩2村●上在地村、●鵜川村
河内狭山藩1村【途中村】
膳所藩・佐野藩1村千野村
幕府領・藩領幕府領・膳所藩2村●苗鹿村[14]、【●○家田村】
幕府領・佐野藩6村○真野中村[15]、○真野沢村[15]、南小松村[16]、○北小松村[15]、【○谷口村[15]、大野村】
幕府領・宮川藩1村●北浜村[17]
幕府領・淀藩2村上仰木村、栗原村
旗本領・佐野藩・淀藩1村赤塚村
その他寺社領12村寺辺村、山上村、錦織村、五別所村、藤尾村、神出村、○穴太村、上坂本村、○下坂本村、比叡辻村、雄琴村、坊村
公家領(二条家)2村山中村、●見世村
門跡領(円満院)1村●南滋賀村
慶応4年
3月7日(1868年3月30日) - 大津代官所に大津裁判所が設置され、幕府領を管轄。
4月28日(1868年5月20日) - 大津裁判所の管轄地域が大津県の管轄となる。
明治元年12月22日(1869年2月3日) - 寺社領のうち滋賀院領が大津県の管轄となる。
明治2年12月26日(1869年11月24日) - 狭山藩が廃藩。管轄地域が大津県の管轄となる。
明治3年
2月 - 旗本領・狭山藩領[18]が大津県の管轄となる。
陸奥山形藩の坂田郡への転封にともなう膳所藩の領地替えにより、上表の【 】内の大津県の管轄地域が膳所藩領となる。