志賀海神社
拝殿
所在地福岡県福岡市東区志賀島877
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度40分4.78秒 東経130度18分47.48秒 / 北緯33.6679944度 東経130.3131889度 / 33.6679944; 130.3131889 (志賀海神社)
志賀海神社(しかうみじんじゃ)は、福岡県福岡市東区志賀島にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国の綿津見神社、海神社の総本社を称する[1]。龍の都と称えられ、古代氏族の阿曇氏(安曇氏)ゆかり地として知られる。 志賀島の島名でもある「志賀」の語源について、『筑前国風土記』逸文[原 1] では、神功皇后による新羅出征の際の伝承から当地を「近島(ちか)」と言い、のち「資珂島(しか)」と転訛したという[2]。 社名「志賀海」は、現在「しかうみ」と呼称されるが、本来の呼称については「しかのわた」「しかのあま」「しかのうみ」「しかにいますわた」等の諸説がある[3]。 祭神は、次のように左・中・右殿に主祭神が各1柱、相殿神が各1柱が祀られている[1]。主祭神の3柱は「綿津見三神(わたつみさんしん)」と総称される[1]。 祭神のワタツミ(海・綿津見・少童)三神は、「海 = ワタ・ワタノハラ」という古名に見えるように、海の神とされる[4]。『古事記』『日本書紀』の神産みの段では、禊ぎにおいて住吉三神とともに生まれた神として次の記載が見える。 このように、ワタツミ三神は記紀においては阿曇氏(あずみうじ/あづみうじ、安曇氏・阿曇族・安曇族)の祖神または奉斎神とされている[2]。阿曇氏の読み「アズミ/アヅミ」もまた「アマツミ(海津見)」の略とも見られるように、この神を奉斎する阿曇氏は海人集団を管掌する伴造氏族であった[5]。 『先代旧事本紀』[原 2] では、同じく神産みの段で「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」と記されており[3]、「筑紫斯香神(つくしのしかのかみ)」の名で志賀海神社が氏神に挙げられている[3]。 なお、ワタツミ以外の主な海の神としては、スミヨシ(住吉三神:住吉族が奉斎)・ムナカタ(宗像三女神:宗像族が奉斎)が知られ、九州北部にはそれぞれを祀る住吉神社・宗像大社が鎮座する。 創建は不詳[1]。社伝では、古くは志賀島の北側、勝馬浜において表津宮(うわつぐう)・仲津宮(なかつぐう)・沖津宮(おきつぐう)の3宮から成っていたが、阿曇磯良(あずみのいそら:阿曇氏祖)により、そのうち表津宮が志賀島南側に遷座して現境内となったという[1]。仲津宮・沖津宮は現在は摂社となっている[1]。
社名
祭神
左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
左殿相殿:神功皇后(じんぐうこうごう)
中殿:底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)
右殿:表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
右殿相殿:応神天皇(おうじんてんのう)
祭神について
『古事記』誕生した三神の底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神を「綿津見神」と総称し、「阿曇連(あずみのむらじ)らが祖神ともちいつく神なり」と記す[5]。
『日本書紀』「生めりし海神等を少童命と号す」と述べたのち、誕生した三神の底津少童命・中津少童命・表津少童命について「阿曇連らがいつきまつる神なり」と記す[5]。
歴史志賀海神社の鎮座する志賀島
創建
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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