志方俊之
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志方 俊之
生誕 (1936-03-30)
1936年3月30日(88歳)
静岡県 浜松市
所属組織 陸上自衛隊
軍歴1958 - 1992
最終階級 陸将
指揮北部方面総監
第2師団長
第2施設団
出身校防衛大学校
京都大学院
除隊後大学教授
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志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は、日本防衛評論家帝京大学名誉教授星槎大学客員教授、元陸上自衛官(最終階級:陸将)。工学博士京都大学、1968年)。
来歴

静岡県浜松市出身。金沢大学附属高等学校防衛大学校本科(土木工学専攻)を卒業(第2期)。京都大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)。

岩見沢駐屯地第102施設大隊長(1974年3月16日?1976年3月24日)、アメリカ陸軍戦略大学研究員、在米国大使館防衛駐在官陸上幕僚監部人事部長、第2師団長、防衛大学校幹事北部方面総監などの要職を歴任する。北部方面総監在任中の1991年には陸上自衛隊としては初の方面隊規模の災害対処訓練「ビッグレスキュー'91」を統裁した。

退官後は、帝京大学法学部教授として国際関係論を担当。新聞・雑誌・テレビ等の各メディアで防衛問題の解説もおこなっている。テレビ番組出演歴としては『ビートたけしのTVタックル』『たかじんのそこまで言って委員会』『朝まで生テレビ!』『ウェークアップ!ぷらす』『ザ・サンデー』『平成日本のよふけ』などがある。

1999年石原慎太郎東京都知事の要請で東京都参与に就任。防災・治安問題のブレーンを務める。2013年3月に退任したが、猪瀬直樹知事の要請で再度就任した[1]。また、特定非営利活動法人日本防災士機構理事日本国際フォーラム政策委員[2]も務めている。

集団的自衛権は憲法違反であり、ゆえに日本国憲法の改正が必要であると主張している。

核武装論についての主張を積極的に行っている。日本は日米共同核保有 (Nuclear Sharing) によって核抑止の分担をすべきだと主張している。日本単独での核武装については、高い政治的・経済的リスクを伴うため困難との見方を示し、日本は核を「持てるけれど持たないでおく」立場を堅持して核不拡散のための外交努力をすること、通常戦力の強化、核抑止のためのアメリカ合衆国との連携強化が重要であると述べている[3]
略歴

1954年(昭和29年)3月:金沢大学附属高等学校卒業

1958年(昭和33年)3月:防衛大学校(土木工学)第2期卒業、陸上自衛隊入隊

1966年(昭和41年):京都大学大学院工学研究科博士課程単位取得(1968年9月博士号認定)

1972年(昭和47年):アメリカ陸軍工兵学校・幹部上級課程留学[4]

1974年(昭和49年)3月16日第102施設大隊長(?1976年3月24日)

1977年(昭和52年)7月1日1等陸佐アメリカ陸軍戦略大学国際研究員

1981年(昭和56年)6月20日:外務事務官兼陸将補在アメリカ合衆国日本国大使館参事官防衛駐在官

1984年(昭和59年)7月1日:第2施設団長兼船岡駐屯地司令

1985年(昭和60年)7月1日:陸上幕僚監部人事部長

1987年(昭和62年)7月7日陸将第2師団長


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