この項目では、レコードデビューしたグループについて説明しています。本項の旧グループ名と同名義のグループについては「ジャニーズJr.#少年忍者」をご覧ください。
忍者
別名少年忍者
出身地 日本
ジャンルアイドル
活動期間1985年 - 1997年
レーベル日本コロムビア
事務所ジャニーズ事務所
旧メンバー柳沢超
遠藤直人
正木慎也
高木延秀
志賀泰伸
古川栄司
忍者(にんじゃ)は、ジャニーズ事務所に所属し、活動していた男性アイドルグループである。アクロバットを持ち味としていた[1]。 メンバープロフィール備考
メンバー
柳沢超
(やなぎさわ すすむ) (1967-03-07) 1967年3月7日(57歳)、B型、東京都渋谷区出身リーダー
志賀泰伸
(しが やすのぶ) (1968-08-03) 1968年8月3日(55歳)、O型、神奈川県横浜市港北区出身1994年に脱退[1]
遠藤直人
(えんどう なおと) (1969-04-20) 1969年4月20日(55歳)、O型、東京都足立区出身
正木慎也
(まさき しんや) (1969-05-29) 1969年5月29日(54歳)、A型、山口県玖珂郡和木町出身
高木延秀
(たかぎ のぶひで) (1970-03-11) 1970年3月11日(54歳)、O型、東京都板橋区出身
古川栄司
(ふるかわ えいじ) (1971-07-11) 1971年7月11日(52歳)、A型、静岡県熱海市出身1994年に脱退[1]
概要
同事務所に所属していたグループ「イーグルス」より、1985年7月24日にソロレコードデビューした中村繁之のバックダンサーとして、「シゲダン」の俗称で結成された。
その後、グループ名が正式に「少年忍者」となり、テレビ、ラジオ、また光GENJI、男闘呼組とともに『少年御三家』として、コンサート活動などを行っていた。
中村亘利が、CHA-CHAでの活動が忙しくなったために脱退。掛け持ちが難しくなった以外にも、中村と他メンバーとの不仲も遠因にあった。
1990年春、少年隊のミュージカルで実績を積んでいた平家派出身の古川栄司が新メンバーに大抜擢される。そしてグループ名も新たに「忍者」に改名された。
1990年8月22日、日本コロムビアより「お祭り忍者」でデビュー。キャッチフレーズは「世界は忍者を待っている」だった。また、デビューシングル用のコスチュームデザインを手がけたのは『コブラ』『ゴクウ』などの代表作を持つ漫画家・寺沢武一だった。 デビュー曲は美空ひばりの「お祭りマンボ」をリメイクした楽曲であり、当時「日本の伝統文化を取り入れた、演歌のような楽曲も歌えるアイドル」という形でデビューした。
1990年、第41回NHK紅白歌合戦で初出場(デビューからの日数最短記録は男闘呼組に次いで当時史上2位)。他、この年の各音楽新人賞を総なめにする(第32回日本レコード大賞最優秀新人賞については、ジャニーズ事務所が「歌謡曲部門」でのエントリーを求めたが認められず、不満をもっていたことが日刊スポーツに報じられた)。
藤子・F・不二雄アニメ『21エモン』主題歌「おーい!車屋さん」を含む初期3作品は、美空ひばりの歌をリメイクしている和風楽曲。
映画「トイ・ソルジャー」の吹き替え版では、メインキャラクター達の声を6人が担当した。
1992年?1994年の間には、フジテレビのものまね王座決定戦に計6回出場。6回中3回、2回戦進出している。
1994年に志賀、古川が同時脱退。古川については、太ったためにジャニー喜多川社長から「ユー、痩せて」と言われたが無視していたら契約を更新されなかったとのこと[2]。志賀はデビュー当時にはすでに結婚しており息子をもうけていた事が1994年に発覚し脱退[注 1]。
同年10月17日、「四銃士」名義でテレビ朝日系『'94FIVBワールドスーパー4バレー』イメージソング「DO YOUR BEST」発売。
1995年12月1日、事実上のラストシングル「たとえ君が嘘をついても」発売。さらに1996年1月20日、ラストアルバム『Hi La Ri』の発売後、1997年11月9日、「KYO TO KYO'97秋公演」へのゲスト出演を最後にグループ自然消滅となった。正式な解散発表及び解散コンサートは行っていない。
エピソード
初期の主要曲ではソロパートのほとんどを、歌唱力が飛び抜けて高かった正木が担当した。その後、中期になると歌唱力が安定してきた古川もリードボーカルに加わるようになり、後期には他のメンバーもソロパートのみならずラップまでもこなすようになった。
パートに分かれて歌う時は、主に「正木・柳沢・高木」と「古川・志賀・遠藤」に分かれて歌っていた。
後にSMAPのメンバーになり、志賀と同郷でもある香取慎吾は志賀に憧れてジャニーズ事務所に入ったという逸話がある[4]。また志賀の話によると、忍者がデビューする前に木村拓哉と中居正広も加入するという話もあったらしいが、忍者の踊りやパフォーマンスについていけないと思ったため加入を断ったという[5]。また噂レベルだが、1994年に志賀、古川が同時脱退した際に後任にV6で活躍する井ノ原快彦と坂本昌行が後任になる話もあったらしいが、2人に断られたため四銃士として活動を始めた。[6]
活動休止後
柳沢超は、2000年に吉本興業へ移籍。現在はユニコンスターに所属し、芸能活動を続けている。
正木慎也は、現在はCINEMACTに所属し、芸能活動を続けている。
高木延秀は、ジャニーズJr.のマネージャーを経て、一般企業に勤務している。
遠藤直人は、ヤング・コミュニケーションに勤務している(ヤング・コミュニケーションはジャニーズ事務所傘下の会社である)。
2009年現在、古川栄司は芸能界復帰を目指しながら居酒屋でアルバイトをしている[7]。
志賀泰伸は、医療関係の仕事に従事。2023年、ジャニーズの社長だったジャニー喜多川による性的虐待被害を受けていたことを告白した。