心臓移植
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心臓移植
治療法
同所性心移植
診療科循環器学
ICD-9-CM37.51
MeSHD016027
MedlinePlus003003
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心臓移植(しんぞういしょく、: Heart transplantation)または心移植(しんいしょく)とは、重症心不全など他に代替治療手段の無い末期心疾患に罹患している患者である移植希望者(レシピエント)に対し、脳死状態にある臓器提供者(ドナー)の体から提供された心臓移植する手術である[1][2]。レシピエントの心臓を摘出してドナーの心臓を移植する術式(同所性心移植)が一般的であるが、レシピエント心を残し、ドナー心は別の場所に移植する術式(異所性心移植)も存在する。移植後は拒絶反応感染症を予防するために種々の薬剤を服用する必要があるが、救命と余命の延長、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)の向上を図り、最終的に社会復帰が期待できる治療法である[3]
歴史

心移植の研究の歴史は20世紀初頭から始まった。1905年にフランスの外科医アレクシス・カレルらが仔の心臓を成犬の頚部に血管吻合して移植したのが最初の動物実験例である[4][5][注釈 1]。当初はこのように異所性心移植の研究からスタートしたが、第二次大戦後に本格的な心移植の試みが始まり、スタンフォード大学のノーマン・シャムウェイ(英語版)らのグループの精力的な研究により1960年代には犬の同所性心移植での長期生存に成功した[6]。そして1964年にミシシッピ大学病院でジェームズ・ハーディ(英語版)がチンパンジーから成人への心移植を試み、初の人間に対する異種移植による心移植となった[5][注釈 2]

以後研究が重ねられ、1967年に南アフリカケープタウン大学クリスチャン・バーナードが、交通事故の女性から心停止後に人工心肺にのせて心臓の摘出・移植を行い、移植を受けた患者は18日間生存。これが初の人間同士による心移植の臨床例となった[4][5][7][注釈 3]

1968年には22カ国で100以上の心臓移植手術が行われたが、当時の技術力では長期生存率が極めて低く、1969年(昭和44年)に行われた座談会における和田寿郎(後述の日本初の心臓移植手術をした医者)の発言によると「(昭和44年7月2日現在で)世界全体で135例ぐらい人間の心臓移植は行われた」が「手術後1年以上生存しているレシピエントは3人」という状況で[8]、その後急速に下火となった。そうした中でもアメリカではスタンフォード大学医学研究所を中心に地道な基礎的研究や手術法の開発が続けられ、1979年頃にはアメリカ国内で30-40例の移植手術が実施され生存率も高くなった[9]。また並行して1970年代後半からは脳死の合意を作る努力がなされ、1981年にアメリカで、1983年にイギリスで脳死の判定基準が認められ、脳死下の臓器提供が合法化された[3]。心移植の手術成績は当初は不良であったものの、免疫抑制剤サイクロスポリンの登場や心筋保護法の進歩により成績は著しく向上し、特に末期心不全患者の外科治療として定着するに至った[10]
日本の心臓移植の歴史

日本においてはバーナードの第1例目の移植の1年後、1968年に札幌医科大学和田寿郎により、国内第1例目・世界で30例目となる心移植が行われ[3]和田移植)、患者は術後83日間生存した。患者の死後、脳死判定や移植適応に関する疑義が指摘され、和田は殺人罪で告発される事態となった。最終的には証拠不十分で不起訴[5]となるも、それ以降日本では臓器移植、特に脳死移植に対する不信感のために国民の合意が得られるのに時間を要し、世界では急速に移植医療が発展する中、日本の心移植適応患者は渡航移植以外の移植の道は約30年間にわたって閉ざされた[11]

1990年代になってようやく脳死からの臓器移植を実現するために関連学会も含めた議論が始まり、1992年1月の脳死臨調の答申[12]を経て1997年10月に「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)が施行され、心臓移植適応患者の日本臓器移植ネットワークへの登録が開始された[3]。そして1999年2月に国内2例目、同法下では初となる心移植が行われた[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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