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情報
通称心劇(南海ホール時代)
2丁目劇場
正式名称心斎橋筋2丁目劇場
旧名称日立ホール(1963年 - 1979年)
南海ホール(1979年 - 1986年)
完成1963年
開館1986年5月10日
開館公演心斎橋筋2丁目物語
閉館1999年3月31日
最終公演ワチャチャ大爆発
客席数146席
用途ネタ、演芸の興行
運営吉本興業株式会社
所在地〒542-0085
大阪府大阪市中央区心斎橋筋2丁目5-5
吉本ビル内
アクセス大阪市営地下鉄御堂筋線難波駅14番出口より徒歩3分
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心斎橋筋2丁目劇場(しんさいばしすじにちょうめげきじょう)は、1986年5月10日にオープンした吉本興業が運営していた劇場。1999年3月31日に閉館した。
所在地は大阪府大阪市中央区心斎橋筋2丁目。ダウンタウン、今田耕司、千原兄弟、ナインティナイン、雨上がり決死隊などを輩出した。 1963年、吉本興業「吉本ビル」(1960年新築)内の日立ホール(日立製作所と賃貸契約)として開業。 事務所の枠を越えたNHKの上方落語の会や、若手の落語会・独演会が行われていた。 日立との賃貸契約満了を機に、南海電気鉄道と賃貸契約を結んで1979年5月14日付けで「南海ホール」に改称。 1984年、南海電気鉄道と賃貸契約が平日のみとなり同7月12日、吉本興業の養成所NSC1期生出身のダウンタウン、ハイヒール、銀次・政二3組で定期的イベント「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」(通称「心劇」)を開催[1]。 1986年、南海ホールの経営権が吉本興業に移転(自前化)し、同年5月16日に「心斎橋筋2丁目劇場」として再オープン。 初演はダウンタウン主演の芝居「心斎橋筋2丁目物語」、2日目「憂歌団 2丁目ザ・ライブショー」、3日目明石家さんま主宰・出演の芝居「SAMMA劇団」[2]。 劇場ではダウンタウンを筆頭に、当時の2丁目劇場出身芸人で構成された定期的イベント「2丁目お笑い探検隊」(後に「2丁目探検隊」に改称)が開始[3]、劇場黎明期の看板イベントとなる。 1987年、同劇場から生放送帯番組「4時ですよーだ」(1987年4月 - 1989年9月、毎日放送)の放送が開始され、一躍若年層から支持を受け劇場観客数が急上昇する現象も起きた。 1989年、番組終了と共に劇場黎明期の劇場出身者が卒業。 1990年代前半からはイベント「2丁目えぶりぃ亭」を開催され、後の吉本印天然素材メンバーなどが活躍。 同時期には千原兄弟、ジャリズムなどを輩出したイベント「WA CHA CHA LIVE」を開催。 1995年からは「WA CHA CHA LIVE」出身者で構成されたバラエティ番組「すんげー!Best10」(1995年1月 - 1997年9月、朝日放送)放送開始。 また1992年からはバンドも出演するようになり秋にはオーディションには200組以上の応募があり、テープ審査と公開オーディションで20組が合格した。 出演者は「2丁目ワチャチャライブJr.」(のちのSABIKI)と言われるオーディションに5週勝ち残ると「WA CHA CHA LIVE」の出場権が得られる。 1999年、入居するビルの老朽化に伴い建て替えが決定、同年3月31日に閉館した。 2002年2月、跡地に地下2階 - 地上8階建ての複合型商業施設「Sinsaibasi GATE」(吉本興業ビル心斎橋1号館ビル)が完成[4]。 施設の建て替え後は、あらたに開館したbaseよしもとが若手芸人の活動拠点となっている。 2013年、吉本興業100周年記念公演「吉本百年物語 アンチ吉本 お笑いレボリューション」で、ダウンタウンらが活躍した劇場の黎明期を月亭方正、遠藤章造(ココリコ)、小川菜摘主演で舞台化[5]。
概要
主なイベントが望まれています。
主な出演者が望まれています。
お笑い芸人
ダウンタウン
ハイヒール
銀次・政二(解散) → 前田政二
トミーズ
濱根隆
杉本美樹
おかけんた・ゆうた(当時:岡けん太・ゆう太)
未知やすえ
内場勝則
ジミー大西
ひろみ・ゆか
今田耕司
東野幸治
まるむし商店
ピンクダック(解散)
リットン調査団
ボブキャッツ(解散)
非常階段(解散)
メンバメイコボルスミ11(解散)
前田・平田(解散)
ホンコン・マカオ(解散)
清水圭・和泉修(解散)
角孝人(当時はパイレーツ)
ポテトフライ(解散)
ヤンキース(解散)
中田はじめ・圭祐(解散)
どんきほ?て(解散)
130R
石田靖
ミモ・ファルス(解散)
ライム・ライト(解散)