徴用工問題
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旧朝鮮半島出身労働者問題(きゅうちょうせんはんとうしゅっしんろうどうしゃもんだい)とは、第二次世界大戦日本の統治下にあった朝鮮での日本企業による募集(自由募集)[1]朝鮮総督府が応募者を募集した官斡旋[2]、1944年9月から総督府が対象者個人に直接「徴用令状」を発給して労務者をあつめた徴用による動員[3]の三種による元労働者及びその遺族による訴訟問題[4][5][6][7][8]。メディアでは単に徴用工問題という。
概要

1961年5月10日に日本の外務省で日韓両国の当局者が徴用被害者へ補償問題を協議した。日本側が被害者への個別支給を主張したのに対し、経済建設の資金を必要としていた韓国側は政府への一括支給を主張した。交渉は日本が無償で提供する3億ドルに含めることで妥結し、1965年の請求権協定第2条では「両国は請求権問題が完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する」とされた[9]。韓国政府は1970年代に一人あたり30万ウォン支給したが、盧武鉉政権時代の2005年に「韓日会談文書公開後続対策関連官民共同委員会」は保証が不十分だったとの結論を下した。韓国政府は特別法をつくり、遺族に2000万ウォン(約200万円)、1970年代に30万ウォンを受け取っていた人・遺族には234万分減額した金額を支給している[9]

「韓日請求権協定とその後の政府補償措置で個人請求権は消滅した[10]」「賠償を含めた責任は韓国政府が持つべきだ」というのが政府見解であるとの結論を下した盧武鉉政権に後には文在寅大統領首席秘書官として決定に加わっていた[11]。2012年や2018年に個人請求権は消滅していないため個人は責任企業になお請求できるとの判決が韓国の最高裁(大法院)から下された際、大統領になっていた文は、英国・米国・フランスのように「外交問題は司法府が政府の立場を尊重する」という司法自制の原則を持ち出すといった措置はとらなかった[12][10]

2018年平成30年)11月1日以降から日本国政府は、募集工や官斡旋工の存在を無視した「徴用工」という表現から「旧朝鮮半島出身労働者」という表現を使っている[13][14]。安倍首相(当時)は国家総動員法(1938年制定)の下で国民徴用令には募集、官斡旋、徴用があり、2018年10月30日の大法院での原告4名はいずれも「募集」に応じた人たちであることを指摘している[13]。韓国政府は国家総動員法以降ならば募集工による労働者も含め、「日帝強占期強制徴用被害者」、「日帝強占期強制動員被害者」との表現を用いている[14][2]。そのため、池上彰は、募集主の差はあれど希望者を集めた募集工と官斡旋までも1944年9月以降の徴用労働者であるかのように誤解を招く表現を用いることへ苦言を呈している[2]。これに対し、むしろ韓国では、植民地時代の募集と官斡旋による動員も事実上は朝鮮総督府による強制的なものであり、安倍発言は、その強制性を希薄にさせるための思惑か、朝鮮人を強制動員したという事実を否定ないし規模を縮小しようとする策略のように受取るむきもあるという[15][14]

2022年6月時点で、原告数は延べ1000人超、被告企業は計115社にのぼる[16]。韓国で同様の訴訟が進行中の日本の企業は、三菱重工業不二越IHIなど70社を超える[17]。2022年6月末で30数件が係属中で、うち9件は大法院(最高裁)の審理中[16]。大法院で日本企業の賠償判決が確定したのは計3件(2018年10月確定の日本製鉄(旧新日鉄住金)訴訟1件と同年11月確定の三菱重工業訴訟2件)[16]

日本の旧朝鮮半島出身労働者への補償について、韓国政府は1965年日韓請求権協定で「解決済み」としてきたが、大法院は日韓請求権協定で個人の請求権は消滅していないとしたため、日本政府は日韓関係の「法的基盤を根本から覆すもの」だとして強く反発した[16]。当時の首相であった安倍晋三首相は「本件は1965年(昭和40年)の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している。今般の判決は国際法に照らしてあり得ない判断だ。日本政府としては毅然と対応する」と強調した。この安倍の発言内容の当否については、日本の法律家からも異を唱える声も多い[18]

日韓請求権協定には、両国に紛争が起きた際は協議による解決を図り、解決しない場合は「仲裁」という手続きが定められている。2019年に日本政府はこの手続きにより解決しない場合、国際司法裁判所への提訴も視野に入れていることが報道された[19]

旧朝鮮半島出身労働者問題は、2018年に韓国の最高裁である大法院の原告を勝訴させる判決から始まり[20][10][21]、革新系最大与党(当時)の「共に民主党」の支持層に近い人々が反日に火を付け、同党支持系メディアの報道で加熱した問題だったため、韓国においても保守系最大野党「自由韓国党」の支持層の中には国際裁判所では日本の勝訴が予想されると主張する者もいた[20][21]。逆に、日本においては、主に法律家から日本の主張に否定的な者も多かった[18]

2022年に大統領に就任した尹錫悦は、2023年3月6日に韓国政府としての旧朝鮮半島出身労働者問題の解決案を表明した。この内容に関して、日本政府・岸田文雄首相から評価する旨が示された[5][6]
訴訟の原告たちの来歴
旧「日本製鉄」に対する訴訟(1997-2003,2005-2018)の原告たち
呂運澤 (募集工→現員徴用)

1923年、
全羅北道益山で生まれる[22]

1939-1941年、日本人経営の雑貨店に勤務[22]

1941-42年、朝鮮無煙炭株式会社(平壌)に転職[23]

1942-43年、理髪店に転職[24]

1943年、理髪店の客から日本製鉄の工員募集の話を聞き、新聞広告でも確認。募集条件は「技術を学べ、二年後には技術者としての待遇を受けることも可能」。平壌職業紹介所を通じてこの募集に応募。[24]

1943年9月、定員100名に対し、500名の応募。知り合いの日本人校長に推薦文を記した名刺をもらい、面接官に提出。面接試験に合格。[25]


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