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出典検索?: "徳間ジャパンコミュニケーションズ"
株式会社徳間ジャパンコミュニケーションズ
Tokuma Japan Communications Co., Ltd.本社が入居する御殿山ビル
種類株式会社
市場情報非上場
略称徳間ジャパン・TJC
本社所在地 日本
〒141-8564
東京都品川区北品川6丁目5番27号
御殿山ビル4F
設立1965年2月1日
(太平音響株式会社)
業種情報・通信業
法人番号1011001047730
事業内容CD・ミュージックテープ等音楽ソフトと、ビデオカセット・DVD等映像ソフトの制作および販売
代表者代表取締役社長 北島浩明
資本金2億7000万円
純利益4366万4000円
(2023年02月28日時点)[1]
純資産22億0517万2000円
(2023年02月28日時点)[1]
総資産31億5869万6000円
(2023年02月28日時点)[1]
従業員数81人
決算期2月末日
主要株主第一興商 100%
主要子会社株式会社ズームリパブリック(出版社)
関係する人物中山幸市・遠藤実・徳間康快・三浦光紀
外部リンクhttps://www.tkma.co.jp/
特記事項:商号変更は#沿革を参照
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株式会社徳間ジャパンコミュニケーションズ(とくまジャパンコミュニケーションズ、英: Tokuma Japan Communications Co., Ltd.)は、日本の中堅レコード会社。
太平住宅グループから徳間書店グループを経て、2001年(平成13年)以降は第一興商傘下。資本関係は切れたものの「徳間」の名称は継続使用されており、徳間書店とは業務提携関係にある。 遠藤実や島倉千代子らの後援者だった中山幸市(太平住宅創業者)が、1965年(昭和40年)に自費で立ち上げた太平音響株式会社が会社の起源。同年中に社名を「ミノルフォン株式会社」に改め、レコード販売部門を設立した。[2] 1966年(昭和41年)には日本レコード協会に加盟[3]、1968年(昭和43年)には遠藤が代表取締役社長に就任。[2]先に創業した日本クラウンに続き、自前のプレス工場を持たず、制作とプロモーションに特化して、アーティスト主導の運営を打ち出した「新業態レコード会社」の先駆けの一社だった。 レーベル名の「ミノルフォン」は当初太平レコードにするつもりだったが、同名のレーベルが既に商標登録されていたため、遠藤の名をとった「ミノルフォンレコード」としたもの[4]。この時点では、元々『タイヘイレコード』の商標を過去に使用していた日本マーキュリーがまだ残存していた。なお、太平音響は遠藤をはじめとしたタイヘイレコード→日本マーキュリーの元スタッフを少なからず採用し、日本マーキュリーから生産設備が独立したヤンマー音響にプレスを委託するなど、人的には深い関係があった。 ミノルフォンの第1号シングルは三船和子の「ベトナムの赤い月」と川田キク
企業概要
1972年(昭和47年)に徳間康快(徳間書店)に買収され徳間音楽工業と改称。更に系列レーベルの別会社ジャパンレコードと合併し徳間ジャパンに改称。
2001年(平成13年)、経営危機に陥った徳間書店グループが徳間ジャパンの発行済全株式を第一興商に売却。資本関係は切れたものの「徳間」の名称ならびに徳間書店との業務提携は維持された。
2005年(平成17年)、同じ第一興商傘下の日本クラウンから株式会社トライエムのメルダックレーベルの制作・販売部門を事業譲渡されると共に、ガウスエンタテインメントを吸収合併。各々メルダック制作室とガウス制作室に改めた。なお、メルダックレーベルの映像部門は分離しエイベックスに売却された。
クラシック音楽愛好家には、キングレコードと並ぶドイツ民主共和国(旧・東ドイツ)の国営レコード会社ドイツ・シャルプラッテンの発売元としても知られていた。 1980年代に存在したアニメージュレコードレーベル(『風の谷のナウシカ』から『となりのトトロ』まで)を含む、一連のスタジオジブリ作品のサウンドトラック・イメージアルバム
スタジオジブリ関係
ビデオソフトは、配給会社を問わず『風の谷のナウシカ』から『耳をすませば』までのVHS版と『魔女の宅急便』(1990年発売)までのBeta版、『もののけ姫』(1998年(平成10年)発売)までのレーザーディスク版と「となりのトトロ」(1988年(昭和63年)発売)までのVHDビデオディスク版(『天空の城ラピュタ』のみVHDビデオディスクは、企画・制作:東芝、制作・発売元:徳間書店、販売元:東芝映像ソフト、制作協力:徳間ジャパン)の販売元(発売元は徳間書店)だった。