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徳(とく、希: ?ρετ? アレテー, 羅: virt?s, 英: virtue)は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。
徳は卓越性、有能性で、それを所持する人がそのことによって特記されるものである。人間に備わって初めて、徳は善き特質となる。人間にとって徳とは均整のとれた精神の在り方を指すものである。これは天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となる。徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができる。徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置付けることができる。 徳(コ、?音: de )は中国の哲学特に儒教において重要な概念である。徳を意味する文字に関して言えば、白川静によると、甲骨文字では大きな目の上に装飾を被った形であり、それは司祭王の目による呪力で土地を抑えることを意味していたが、やがては、統治者としての資質や自然万物を育成する力を表すに至ったとされる。 儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、具体的には仁・義・礼・智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表される。そして、徳は人間の道徳性から発展して統治原理とされ、治世者の優れた徳による教化によって秩序の安定がもたらされると考えられた。前漢において儒教は「儒教」とは呼ばれず、もっぱら法家思想の法治や刑に対抗する意味で「徳教」と呼んでいた。儒教思想において重要な規範的価値は、生まれによってではなくその人の徳の現れた実際の量の結果によって社会的地位が決せらるべきであるということである。 道家の徳は、根本的実在である「道」の万物自然を生成化育する働きを表す。『老子』はその名を『道徳経』とも言われる。 法家の徳は、「刑」と対照させられる恩賞の意味であり、恩賞必罰の「徳刑」として統治のための道具と考えられた。 仏教の徳には、性質としての徳である(梵: gu?a)、行として徳である(梵: v?tta)、報果としての徳である(梵: pu?ya)などがある[1]。そのいずれもが「徳」または「功徳」と、一義に漢訳された(報果の場合は「福田」というように別の漢訳もなされることはあった)[1]。なお、善の行為には宗教的なものと世俗的なものがあり、世俗的なものは真実の功徳ではない不実功徳とされる[2]。 西洋的徳の目録は少なくとも、知恵、勇気、節制、正義というプラトーンの『国家』(435,また443)のそれにまで遡られる。より包括的な目録はアリストテレースの『ニコマコス倫理学』に見出される。徳の概念は古代の哲学において共通の話題であったし、それらはキケローによって採用されたのでキリスト教哲学者に広く受け容れられ、カトリック神学の要諦となった。 なお、この場合の徳とは、virtueの訳語として当てられている。 西洋古典世界の基本的な (cardinal) 徳( virt?t?s cardin?l?s )は、 である。これは、ギリシア的な教養に由来するもので、プラトーンの著作『ゴルギアース』や主著『国家』でこれらの徳が議論された。
目次
1 中華文明における徳
1.1 儒教の徳
1.2 道家の徳
1.3 陰陽家の徳
1.4 法家の徳
2 仏教における徳
3 西洋哲学史における徳
3.1 謙遜
3.2 四元徳(cardinal virtues)
3.3 徳の調和
3.4 思慮と徳
3.5 キリスト教の徳
3.6 徳と悪徳
4 関連
5 関連項目
6 脚注
中華文明における徳
儒教の徳
道家の徳
陰陽家の徳という。
法家の徳
仏教における徳詳細は「功徳」を参照
西洋哲学史における徳
謙遜の「十二使徒の教え」、いわゆるディダケーなどに出てくる、タペイノプロシューネー
四元徳(cardinal virtues)詳細は「四元徳」を参照
思慮、叡智
正義
忍耐、勇気
節制
徳の調和
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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