日本の政治家徳田 毅とくだ たけし
生年月日 (1971-05-30) 1971年5月30日(53歳)
出生地 日本 鹿児島県名瀬市
(現・奄美市)
出身校帝京大学法学部法律学科(中退)
前職医療法人役員
衆議院議員徳田虎雄秘書
所属政党(自由連合→)
(自由民主党(古賀派→谷垣G)→)
(無所属→)
自由民主党
親族父:徳田虎雄(元衆議院議員)
衆議院議員
選挙区鹿児島2区
当選回数3回
在任期間2005年9月 - 2014年2月28日
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コ田 毅(とくだ たけし、1971年〈昭和46年〉5月30日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(3期)。医療法人徳洲会理事。国土交通大臣政務官兼復興大臣政務官(第2次安倍内閣)、自由連合代表などを歴任。
医療法人徳洲会創設者で衆議院議員、自由連合代表を務めた徳田虎雄は父。徳洲会副理事長で薬剤師の徳田秀子は母。 鹿児島県名瀬市(現奄美市)に生まれる[2]。大阪教育大学附属平野小学校、名瀬市立金久中学校を経て、鹿児島高等学校を卒業。1991年4月に帝京大学法学部法律学科に入学したが5年在学して中退。2005年4月、帝京大学法学部に再入学するが、2007年に再び中退した[要出典]。 1995年から父・徳田虎雄の個人事務所に私設秘書として勤務する。2002年からは公設秘書を務めたほか、徳洲会グループの医療用品卸売業・株式会社インターナショナル・ビジネス・サービス代表取締役社長に就任。 2003年に結婚し、媒酌人は亀井静香が務めた。2004年、医療法人徳洲会理事に就任。2004年から中間法人徳洲会副理事長、2005年から一般社団法人徳洲会副理事長、2009年から医療法人徳洲会常務理事及び一般社団法人徳洲会理事、医療法人聖山会理事。 2005年、父・虎雄が2001年頃から発症した筋萎縮性側索硬化症(ALS)の療養に専念するために政界引退を表明したため、代わって、毅が第44回衆議院議員総選挙に無所属(民主党推薦)で鹿児島2区から出馬し、初当選した[3]。同年、自由連合代表に就任する。 2006年10月、鹿児島県庁で記者会見を開き、自身が代表を務める自由連合を離党する意向を表明。徳田の離党により所属国会議員数がゼロになった自由連合は政党助成法上の政党要件を喪失した。同年11月の沖縄県知事選挙では、自由連合は糸数慶子を推薦したが、毅は告示日の11月2日に自由連合を離党して自由民主党、公明党が擁立した仲井眞弘多を支援し、仲井眞が当選した。 2006年11月29日、自民党に「入党願」を提出。徳田の入党を認めたことについて、自民党鹿児島県連会長(当時)の宮路和明は同年4月の衆議院千葉7区補欠選挙、沖縄市長選挙における徳田の与党への協力を一因に挙げている。同年12月20日に改めて自民党に入党届を提出し、正式に自民党に入党した。これにより鹿児島県の衆議院小選挙区は、自民党が独占した。 2007年の第21回参議院議員通常選挙では保守王国の鹿児島県でも自民党が苦戦を強いられたが、自民党の加治屋義人が2664票の僅差で逃げ切り、再選された。
来歴・人物
衆議院議員