中国地名の変遷
建置隋代
使用状況1912年
前漢平原郡
新平原郡
後漢平原郡
三国平原郡
西晋平原国
東晋十六国平原郡
南北朝平原郡
平原郡・安徳郡
隋徳州
平原郡
唐徳州
平原郡
徳州
五代徳州
北宋/遼平原郡
南宋/金徳州(金)
元徳州
明徳州
清徳州
中華民国徳県
現代徳県
徳州市
徳州(とくしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の山東省徳州市一帯に設置された。
隋代が廃止されると、その管轄県が徳州に移管された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、徳州は平原郡と改称され、下部に9県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 621年(武徳4年)、唐が竇建徳を滅ぼすと、平原郡は徳州と改められた。742年(天宝元年)、徳州は平原郡と改称された。758年(乾元元年)、平原郡は徳州の称にもどされた。徳州は河北道に属し、安徳・平原・平昌・長河・将陵の5県を管轄した[2]。 宋のとき、徳州は河北東路 金のとき、徳州は山東西路 元初には徳州は東平路に属したが、後に中書省に直轄された。徳州は安徳・平原・徳平・斉河・清平の5県を管轄した[5]。 明のとき、徳州は済南府に属し、徳平・平原の2県を管轄した[6]。 清のとき、徳州は済南府に属し、属県を持たない散州となった[7]。 1912年、中華民国により徳州は廃止され、徳県と改められた。
区分開皇元年区分大業3年
州冀州滄州郡平原郡
郡平原郡渤海郡楽陵郡県安徳県 平原県 東光県
平昌県 長河県 将陵県
般県 弓高県 胡蘇県
県安徳県 平原県東光県平昌県
唐代
宋代
元代
明代以降
脚注^ 『隋書』地理志中
^ 『旧唐書』地理志二
^ 『宋史』地理志二
^ 『金史』地理志中
^ 『元史』地理志一
^ 『明史』地理志二
^ 『清史稿』地理志八
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