徳川家広
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徳川 家広
講演中の徳川(平成27年2月、愛知県蒲郡市
誕生 (1965-02-07) 1965年2月7日(59歳)
日本 東京都渋谷区
職業評論家翻訳家
言語日本語英語
国籍 日本
教育修士
最終学歴ミシガン大学大学院
コロンビア大学大学院
ジャンル政治経済
代表作『自分を守る経済学』[1]
デビュー作『バブルの興亡 日本は破滅の未来を変えられるのか』
活動期間2003年 -
子供なし
親族徳川恆孝(父)
徳川幸子(母)
公式サイトバブルの興亡・2番底を超えて
ウィキポータル 文学
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徳川 家広(とくがわ いえひろ、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:コ川 家廣、1965年昭和40年〉2月7日 - )は、日本政治経済評論家[2]翻訳家[1]作家[3]徳川宗家第19代当主[4][5]公益財団法人徳川記念財団理事長[6]長崎大学国際連携研究戦略本部客員教授[3]特定非営利活動法人公共政策調査機構顧問。徳川家正の曾孫、徳川家達の玄孫、徳川慶喜の養来孫、徳川家茂の養昆孫、徳川家定の養仍孫、徳川家慶の養雲孫である。
来歴

1965年2月7日、徳川宗家第18代当主・徳川恒孝の長男として東京都渋谷区に生まれる。小学1年生から3年生までをアメリカニューヨークで過ごす[7]。帰国後、学習院初等科中等科・高等科で学ぶ[8]。在学中は文芸部に所属していた。慶應義塾大学経済学部卒業後、ミシガン大学大学院経済学修士号を取得[9]。財団法人国際開発高等教育機構(FASID)、国際連合食糧農業機関(FAO)のローマ本部、ベトナム支部(ハノイ)に勤務し、その後、コロンビア大学大学院政治学研究科を修了し、政治学修士号を取得(国際関係論[1]

1997年頃、FAOベトナム支部勤務時代に11歳下のベトナム人女性と知り合い、恋仲となる[7]。早々にこの女性との結婚を決意し、2001年に日本へ帰国[7]2006年頃、婚姻した[7]。周囲の反対もあったと報道されたが、徳川によれば、びっくりはされたが家族に会わせてみると「いい子だね」と祝福されたという[10]

2010年、アメリカ映画『グリーン・ゾーン』の字幕翻訳を担当。2012年10月、政策フォーラム「日本の選択」の設立に参加し、その座長となる[11]

2016年には広島県立美術館新潟市美術館で開催された「徳川家康没後400年記念 天下太平 徳川名宝展」[12]をプロデュース、その最初の開催地である広島市では、同地の菓子会社・にしき堂が「徳川宗家十九代 徳川家広氏プロデュース」の「葵もみじ」を発売[13]2017年には浜松市の菓子会社・春華堂が「徳川宗家十九代 徳川家広氏の監修」として慶長小判を象った最中を発売した[14]

2022年10月4日、浜松市は、2023年のNHK大河ドラマどうする家康』放送開始に合わせて浜松城公園に建設する大河ドラマ館の名誉館長を、徳川に委嘱した[15]

同年10月25日、父の恒孝が高齢であることなどを理由に年内で当主を退くことを決め、2023年1月1日付で徳川が第19代当主として正式に家督を継承することが各メディアで報じられた[4]

2023年1月1日、家督を継承し、徳川宗家第19代当主となる。同年1月29日、代替わりの儀式として、増上寺で「継宗の儀」が行われた[注 1]
政治活動

2018年10月に知人の北海道議会議員から要請を受け、任期満了に伴う北海道知事選挙(2019年4月執行)への立候補の準備を始める。2019年1月に住民票札幌市に移し、北海道内を回って情報収集をしていた[16]が、同年2月20日、自らの理解が浅かったとして不出馬を表明した[17][18]

2019年5月28日、第25回参議院議員通常選挙静岡県選挙区(改選数2)から立憲民主党公認で立候補する意向を表明した[19]。7月21日に行われた参院選では「最重点区」として党幹部の手厚い応援を受けたが、現職自民党牧野京夫と現職国民民主党榛葉賀津也に敗れ、落選した[20][21]

立憲民主党本部は参院選で30万票強を獲得した徳川を重要視し、次期衆院選の静岡4区または静岡5区への立候補を打診。徳川も「出るなら5区」と考え政治活動を続けた。ところが同年11月27日、国民民主党静岡県連が静岡5区総支部長に小野範和(伊豆の国市長小野登志子の長男)を選出する[22][23]と、徳川は「野党共闘の邪魔はしたくない」と述べ、翌11月28日に次期衆院選への立候補を見送ることを決めた[24]

2020年5月19日、立憲民主党静岡県連に離党届を提出。党関係者によれば、徳川は自身が参院選で競合した国民民主党との合流協議が進んでいた事に対し不信感を募らせており、3月には党幹事長の福山哲郎に離党の意向を示し、慰留されていたが4月に静岡4区補欠選挙があったため結論を先延ばしにされていた[25][26]


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