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凡例徳川宗春
徳川宗春(中央)を描いたとされる絵
時代江戸時代中期
生誕元禄9年10月28日(1696年11月22日)[1]
死没明和元年10月8日(1764年11月1日)[1]
改名萬五郎、松平通春、徳川通春、徳川宗春
別名求馬(通称)
諡号逞公
神号孚式山王権現(日吉山王権現)
戒名章善院殿厚譽孚式源逞大居士
墓所徳興山建中寺 → 平和公園
官位従五位下・主計頭、従四位下、侍従
左近衛権少将、従三位・左近衛権中将
参議、権中納言、贈従二位・権大納言
幕府江戸幕府
主君中御門天皇→桜町天皇→徳川吉宗
藩陸奥国梁川藩主→尾張国名古屋藩主
氏族尾張徳川家→大窪松平家→尾張徳川家
父母父:徳川綱誠、母:梅津(宣揚院)
養父:徳川継友
兄弟吉通、継友、松平義孝、松平通温、宗春、松姫(前田吉徳室・徳川綱吉養女)
妻正室:なし
側室:海津、民部、伊予、左近、おはる、阿薫
子富・補誦・八千・頼姫(勝子・傅・須亭:近衛内前室)・國丸(萬五郎)・八百・以津・龍千代・近姫(養女:上杉宗房室:実父は梁川藩第2代松平義方)
特記
事項著述「温知政要」次当主、徳川宗勝
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徳川 宗春(とくがわ むねはる)は、江戸時代中期の大名。梁川藩第4代当主(当時は通春。御連枝である大窪(大久保)[注釈 1]松平家当主)、のち名古屋藩第7代藩主(尾張徳川家第7代当主)。
名古屋藩主就任時に規制緩和政策をとった宗春は、質素倹約策の8代将軍・徳川吉宗とよく対比される[注釈 2]が、幕府が元文の改鋳で金融緩和をした際には、名古屋藩では引き締め政策を行っており、単純な規制緩和ではなかった。
歴代藩主と同様、名古屋藩主就任後に吉宗から「宗」の偏諱を授かって「宗春」と改名した(後述)。改名前の諱は兄・徳川吉通の「通」の字を得て通春。 出典:[3] 元禄9年10月28日(1696年11月22日)、名古屋藩第3代藩主・徳川綱誠の二十男[注釈 3]として名古屋で生まれ、萬五郎と名付けられる。母は側室の梅津(宣揚院、遠州掛川横須賀浪人三浦太次兵衛嘉重[注釈 4]の長女)。元禄11年(1698年)に祖母の千代姫、翌元禄12年(1699年)に父の綱誠、元禄13年(1700年)に祖父の徳川光友が相次いで没した。 宝永5年(1708年)11月、兄で第4代藩主の吉通より偏諱を受け、諱を通春とする。吉通は奥で夕餉を摂る際には宗春と共に食事をしたほど、末弟の宗春を可愛がった[4]。正徳2年(1712年)、兄・通顕(のちの徳川継友)、通温は江戸に下向し従四位下に叙任され、譜代衆となるが、宗春は名古屋に残されたままとなる。 宝永6年(1709年)3月、久留米藩主・有馬則維から、名古屋藩御連枝筆頭の高須藩主・松平義行宛に、万五郎を仮養子に迎え、そののち正式な養子にしたいという申し出があった。しかしこの話はたち消えている[注釈 5]。 正徳3年(1713年)4月に江戸へ移り、星野藤馬を小姓とする。閏5月、江戸に下向した際に同道した名古屋藩士2人が吐血頓死・割腹自害する事件が起きる。同月に名古屋藩御連枝の梁川藩主・松平義昌が逝去し、7月には兄・吉通が薨去する。さらに10月には、甥で吉通の跡を継いだ5代藩主・五郎太が逝去し、兄・通顕が継友と改名して6代藩主となる。12月に元服し、求馬通春と名乗る(通称を「求馬」に改めた)[注釈 6]。正徳6年(1716年)2月に7代将軍・徳川家継に御目見し、3月に譜代衆となり松平求馬通春を名乗る。同年改元後、享保元年(1716年)7月に8代将軍・徳川吉宗当時の幕府の奏請により従五位下主計頭に叙任される。 享保3年(1718年)4月、疱瘡に罹るが、まもなく回復する。同月、兄・通温が名古屋城下に蟄居謹慎となる。12月、従四位下に叙任する。吉宗から特別に鷹狩の獲物を数度賜り、吉宗お気に入りの譜代衆と共に紅葉山東照宮の予参を命じられるなど、御家門衆として吉宗に大切にされる。享保13年(1728年)、実母の宣揚院を見舞うため名古屋へ下向する。 享保14年(1729年)6月、尾張藩連枝で梁川藩第三代藩主の松平義真が没し、梁川藩大窪松平家が無嗣断絶となった。8月に将軍吉宗の肝煎りで梁川藩3万石を改めて与えられ、大窪松平家は再興された。上杉氏統治時代の梁川城は既に破却され梁川陣屋となっていたが、12月に従四位下侍従に任官され、国主扱いの大広間詰めとなった。 梁川藩は初代の松平義昌が高年貢を課し新たに課役を設けるなどした。さらに二代の松平義方は父の代以上に年貢率を引き上げ、新税を設置して重税を強いるなど、領民からの収奪を強化していた[6]。
生涯
出生
梁川藩主
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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