徳島藩松帆台場跡(とくしまはんまつほだいばあと)は、兵庫県淡路市岩屋の松帆崎にある砲台跡。松帆砲台跡とも。国の史跡に指定されている[1]。 幕末の安政5年(1858年)、徳川幕府将軍家茂の幕命を受けた徳島藩により着工、文久元年(1861年)竣工。 建設の目的は、明石海峡対岸の明石藩舞子台場跡(国の史跡)と対になって両岸から黒船を挟撃することであったが、一度も使用されることはなく現在に至っている。台場はM字状になった堡塁を石垣で補強、大砲13門が設置されていた。砲台は真北にむいている。 現在は神戸製鋼の保養所「ゆうなぎ荘」敷地になっている。 松帆台場跡 黒船には一度も使用されなかったが、文久3年(1863年)7月に幕府の3本マストの軍艦朝陽丸を誤って砲撃[2]し、舵付近を破壊している。この誤射で砲台司令 長坂三知 は切腹[3]している。
目次
1 概要
2 誤射
3 交通アクセス
4 脚注
5 外部リンク
概要
ゆうなぎ荘(右のくの字型建物)直下が石垣遺構で左方向にも伸びているのが見える
誤射
交通アクセス
神戸淡路鳴門自動車道淡路ICから国道28号及び兵庫県道31号福良江井岩屋線道の駅あわじ付近
岩屋港から淡路交通バス松帆の浦バス停下車
脚注^ “ ⇒文化遺産オンライン「徳島藩松帆台場跡」”. 文化庁. 2015年6月21日閲覧。
^ “ ⇒ひょうご歴史ステーション「兵庫伝説紀行」”. 兵庫県立歴史博物館ネットミュージアム. 2015年6月21日閲覧。
^ “コトバンク「長坂三知」
外部リンク
⇒文化遺産オンライン
⇒史跡徳島藩松帆台場跡?遺跡に秘められた幕末のドラマ?
“ ⇒ひょうご歴史ステーション”. 兵庫県立歴史博物館ネットミュージアム. 2015年6月21日閲覧。
座標: 北緯34度36分29.8秒 東経135度0分10.6秒 / 北緯34.608278度 東経135.002944度 / 34.608278; 135.002944
更新日時:2015年12月24日(木)19:16
取得日時:2019/01/30 18:55