徳島県立池田高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度1分50.22秒 東経133度48分14.59秒 / 北緯34.0306167度 東経133.8040528度 / 34.0306167; 133.8040528
徳島県立池田高等学校(とくしまけんりつ いけだこうとうがっこう)は、徳島県三好市池田町に所在する公立の高等学校。略称は池高。 蔦文也元監督が率いる池田高校野球部は、春夏の甲子園大会で優勝3回、準優勝を2回した。全部員11人だけで戦い抜き準優勝を果たした「さわやかイレブン」や、「やまびこ打線」と呼ばれたその豪快な攻撃野球で、一躍有名になった。 1992年夏の甲子園(第74回大会)以降は20年以上甲子園出場から遠ざかったが、2006年の春の県大会では準優勝、同年の秋季高校野球大会では、同じく県大会で準優勝を果たし(優勝は池田高校のやまびこ打線時代のライバルであり、同じ公立高校で、蔦の母校でもある徳島商業)、四国大会出場を決めるなど復活の兆しを見せた。 蔦の教え子だった岡田康志監督のもと、2013年の秋季四国大会で準優勝し、2014年の春の甲子園に27年ぶり8回目の出場を果たした(2回戦敗退)。 なお、2017年に統合した2校のうち、辻校は統合後も分校扱いとして本校とは別に野球部が存続し、各種大会に出場している。 1974年の春の甲子園(第46回大会)に出場した池田高校は、メンバーが11人という、どうにかゲームが出来る人数であった。 しかし大会では快進撃を続け、決勝戦で報徳学園に敗れたものの選抜準優勝を果たした。 監督の蔦は「芯を外れていても腕力が強ければ飛距離が伸びる」という、金属製バットの特性を生かすために、ウエイトトレーニングでひたすら部員の上半身を鍛え上げた。 こうして、緻密なプレーはせずにとにかく打ちまくるという強打の「やまびこ打線」を生み出した。1982年夏の甲子園(第64回大会)では畠山準、水野雄仁を擁し、チーム6戦85安打という当時の大会新記録を見事に打ち立てた。特にラストバッターの山口博史は2回戦・3回戦と2試合連続で本塁打を放ち「恐怖の9番打者」と恐れられ、切れ目のない打線の象徴となった。 準々決勝の早稲田実業戦では、のちにプロでも活躍したエース荒木大輔と石井丈裕の両投手から、大量14点を奪い圧勝。更に決勝戦では「コツコツ点を取って守り切る」という従来の甲子園戦法の代表のような広島商業[3]相手に初回から猛打で圧倒し、12-2で勝利した。 金属バットは、打力を全面に押し出した方が有利といち早く気付き、徹底して実践した蔦元監督の先見の明は、その後の高校野球に大きな影響を与えた。帝京高校の前田三夫監督や、智弁和歌山高校の高嶋仁監督などが以後、この蔦元監督の池田野球に大きな影響を受けている。 池田高校は1983年春の甲子園でも優勝し、同年夏の甲子園(第65回大会)では史上初の「夏春夏3連覇」を達成するかが注目されていた。その準決勝で、この当時まだ1年生でノーマークだった桑田真澄・清原和博の「KKコンビ」を擁するPL学園と顔を合わせた。相手ピッチャー・桑田の活躍で思い通りのバッティングが出来ず0?7の完封負けを喫した。 また、この試合でのPL学園は、池田の「やまびこ打線」のお株を奪うかのように、7番以降の下位打者3人(うち1人は8番桑田)がそれぞれ一発を放ったのだった。なおPL学園は、この夏の甲子園(第65回大会)の優勝校となった。 全国高等学校野球選手権大会 (徳島県勢)及び選抜高等学校野球大会 (徳島県勢)を参照。
設置学科
全日制課程
普通科
探究科
定時制課程
普通科
沿革
1922年 - 徳島県立池田中学校として創立。
1948年 - 学制改革により徳島県池田高等学校と改称、三名分校を設置。
1949年 - 男女共学化。また、高校三原則にはかり徳島県立三好農業高等学校と統合、同校から箸蔵分校を移管し佐馬地と西祖谷に分校を設置、さらに箸蔵昼間分教室を有する総合制池田高等学校として発足。
1950年 - 西祖谷分校に東祖谷教室を設置。
1951年 - 西祖谷分校東祖谷教室と西祖谷分校をそれぞれ祖谷分校・祖谷分校西祖谷教室と改称。
1952年 - 全日制農業科が徳島県三好農林高等学校(現在の徳島県立池田高等学校三好校)として独立し同校へ箸蔵分校昼間分教室を移管。
1956年 - 徳島県立池田高等学校と改称。
1958年 - 三名分校を廃止。
1960年 - 佐馬地分校を廃止。
1963年 - 祖谷分校西祖谷教室を廃止。
1971年 - 三好市医師会准看護学院と技能連携教育を行う。
1999年 - 技能連携教育を廃止。
2005年 - 祖谷分校を廃止。
2017年 - 徳島県立辻高等学校と三好高等学校を統合(三好高校は再統合)。池田高等学校辻校・池田高等学校三好校と改称。
校歌
徳島県立池田高等学校校歌(作詞:合田公明、作曲:永井潔)[1]
JR四国の阿波池田駅では2022年から池田高等学校校歌が列車接近メロディに採用されている[2]。
部活動
文化部 - 書道、美術など
体育部 - 硬式野球、ハンドボール、レスリング、剣道、弓道など
野球部
さわやかイレブン
やまびこ打線
KKコンビとの対決
甲子園での成績
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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