徳島水力電気
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徳島水力電気株式会社種類株式会社
本社所在地 日本
徳島県徳島市寺島町535番地
設立1908年(明治41年)1月29日[1]
解散1923年(大正12年)11月15日[2]
三重合同電気と合併)
業種電気
事業内容電気供給事業都市ガス供給事業
代表者井原外助(専務)
公称資本金1125万円
払込資本金669万円
株式数計22万5000株(額面50円)
総資産1322万9169円(未払込資本金除く)
収入90万3108円
支出44万9778円
純利益45万3330円
配当率年率12.0%
株主数2234名
主要株主川北電気企業社 (13.5%)、敦賀電灯 (2.7%)、五菱株式会社 (2.3%)、宇田友四郎 (1.4%)、川崎松 (1.2%)
決算期5月末・11月末(年2回)
特記事項:代表者以下は1923年5月期決算時点[3]
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徳島水力電気株式会社(とくしますいりょくでんき かぶしきがいしゃ)は、明治末期から大正にかけて存在した日本の電力会社である。四国電力送配電管内にかつて存在した事業者の一つ。

設立は1908年(明治41年)。1895年(明治28年)に徳島市で開業した四国最初の電気事業者徳島電灯株式会社(徳島電燈、とくしまでんとう)を合併するなど徳島県内に供給区域を拡大。1921年(大正10年)からは兵庫県淡路島にも進出した。また1917年(大正6年)からは徳島市内で都市ガス供給事業も営んだ。

1923年(大正10年)、人的関係があった三重県の三重合同電気(後の合同電気)に合併された。
沿革
徳島電灯の開業

徳島水力電気の前身、徳島電灯株式会社は、1895年(明治28年)1月9日電灯供給を開始して開業した[4]1887年(明治20年)に東京電灯東京にて電気の供給を始めてから8年が経っていたが、徳島県内のみならず四国4県では最初の電気事業である[5]

徳島電灯の設立は開業の前年、1894年(明治27年)10月のことであった[4]。設立時の資本金は5万円[4]。発起人は大串竜太郎・川真田市太郎らで[4]、そのうち阿波藍を商う板野郡の豪商大串竜太郎(1845 - 1925年)が社長となった[6]。本社は四国電力徳島支店所在地である徳島市寺島本町(当時は寺島町535番地[7])に置かれ、同じ場所に火力発電所も建設された[8]。初期の配電範囲は市内のうち中心部の寺島本町・内町新町などであった[4]

最初の点灯から3か月後の1895年4月15日より正式に営業を開始した[6]。その直後に日清戦争が終結したため、翌月に開かれた戦勝祝賀行事では電灯を用いたイルミネーションを施している[6]。当時の電灯料金は高額であったが、徳島は人口6万人余りの都市で藍商など富裕層が多いこともあり電灯の普及は順調であったという[6]1901年(明治34年)、資本金を8万円へと増資した[4]

1907年(明治40年)時点での発電設備は米国ゼネラル・エレクトリック製直流発電機(エジソン式発電機[4])6台で、総発電力は200キロワットであった[5]。この時点で四国には徳島電灯を含め6つの電気事業が開業しているが、その中で直流発電を用いるのは徳島電灯だけである[5]。その後発電機を250キロワットの交流発電機と交換し、配電範囲を市内の半分に広げた[6]。また1910年(明治43年)までに資本金を32万円としている[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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