徳島ヴォルティス
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徳島ヴォルティス
原語表記徳島ヴォルティス
呼称徳島ヴォルティス
クラブカラー    VORTIS INDIGO BLUE
    VORTIS GREEN
[1]
創設年1955年
所属リーグ日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョンJ2リーグ
クラブライセンスJ1
ホームタウン徳島市鳴門市美馬市板野町松茂町藍住町北島町吉野川市小松島市を中心とする徳島県全県[2]
ホームスタジアム鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム[2]
収容人数17,924[2]
運営法人徳島ヴォルティス株式会社[2]
代表者 岸田一宏[2]
監督増田功作[注釈 1]
公式サイト公式サイト

ホームカラーアウェイカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

徳島ヴォルティス株式会社
Tokushima Vortis Co., Ltd.種類株式会社
本社所在地779-0108
徳島県板野郡板野町犬伏字瓢谷2-22 徳島スポーツビレッジ[2]
設立2004年9月10日[3]
業種サービス業
法人番号3480001005889
事業内容サッカークラブの運営
代表者岸田一宏[2]
資本金4億0,900万円[4]
売上高16億3,900万円 (2018年1月期)[4]
営業利益1億4,800万円(2018年1月期)[4]
経常利益1億4,400万円(2018年1月期)[4]
純利益9,900万円(2018年1月期)[4]
純資産11億3,900万円(2018年1月期)[4]
総資産14億9,300万円(2018年1月期)[4]
決算期1月期
主要株主大塚製薬[5]
外部リンクhttps://www.vortis.jp/
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徳島ヴォルティス(とくしまヴォルティス、: Tokushima Vortis)は、日本徳島市鳴門市美馬市板野町松茂町藍住町北島町吉野川市小松島市阿南市を中心とする徳島県全県をホームタウンとする[2]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要

2004年9月に設立された「徳島ヴォルティス株式会社」が運営会社であり[2]、徳島県、ホームタウンの各自治体市町)、徳島新聞販売[注釈 2]阿波銀行阿波製紙大塚製薬グループ、ケーブルテレビ徳島四国化工機四国銀行四国電力四国放送四国旅客鉄道綜合警備保障テレビ鳴門徳島大正銀行トヨタカローラ徳島日本航空リブドゥコーポレーションなどの企業・団体が出資している[5]

ホームスタジアムは鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム[2]、練習場は徳島スポーツビレッジである[2]

チーム名称の「ヴォルティス」(Vortis)とは、イタリア語を意味する「Vortice」(ヴォルティーチェ)をもとにした造語である[3]。「豪快な鳴門の渦潮のように、パワー・スピード・結束力を兼ね備え、観客を興奮の渦に巻き込むチーム」を目指すと説明される[3]。なお、この「ヴォルティス」は大塚製薬の実業団サッカー部時代のジャパンフットボールリーグに在籍していた1994年から1998年まで愛称(当時はヴォルティス徳島)として使われていた。

マスコットキャラクターは2009年に制定されたタヌキのペアである『ヴォルタくん』と『ティスちゃん』である。かつては、ホームゲーム(試合前・ハーフタイムなど)や徳島県内で開催されるイベントでは非公式マスコットの「 ⇒ボール君」が存在し(ボール型の着ぐるみをかぶっているが、顔と手足が出ているため、MCも可能)、『ヴォルタくん』『ティスちゃん』『ボール君』とで「ぽんぽこ倶楽部」というユニットを組んでいた[6] が、『ボール君』を演じていたスタッフが退職したため、活動していなかったが、そのスタッフが再度携わるようになったため、2022シーズン途中から復活した。
歴史
前史詳細は「大塚製薬サッカー部」を参照

1955年に創設された大塚製薬サッカー部が前身[2]1990年日本サッカーリーグ2部へ昇格[2]1992年からはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に参戦[2]、1999年からは日本フットボールリーグ(JFL)へ参加し、2003年および2004年にはJFLで2連覇した。

2004年9月に大塚製薬サッカー部を引き受けるサッカークラブの運営法人が設立され、Jリーグ加盟を申請[3]。2004年12月にJリーグ入会が認められ[2][3]翌年のJ2への参加が決まった。
2005年 - 2013年(J2)
2005年
新入団の
羽地登志晃(12得点)と小林康剛(11得点)のFW2人が二桁得点を挙げ、MF伊藤彰・DF大森健作・GK高橋範夫などの他の新戦力や、MF大場啓・MF片岡功二などの大塚時代からの選手も活躍し、7位の湘南と勝ち点2差の12チーム中9位に入った。
2006年
9月、大塚製薬から8年間チームを率いた田中真二が監督を辞任し、ヘッドコーチの東泰が監督に就任したが、就任直後に行われた愛媛との四国ダービーで敗れるなど、最下位の13位でシーズンを終えた。シーズン終了後、東が監督を退任。また、大塚製薬の社員選手の内、大場と林は現役を引退。片岡はプロ選手契約を結んで大塚製薬を退社した。12月にクラブ事務所が徳島スポーツビレッジ(土地は板野町と大塚製薬が無料で貸与)に移転した。
2007年
クラブスローガン :「Re・ヴォルティス ?再生への決意?」今井雅隆が監督に就任。シーズン中に横浜FMからMF塩川岳人を獲得、羽地登志晃が甲府に移籍する一方で甲府からFW長谷川太郎期限付き移籍で加入した。リーグ戦は2年連続の最下位に終わり、今井がこの年限りで監督を退任。第43節から第50節にかけての7試合連続無得点敗北は、この期間を挟む757分連続無得点と共にJリーグ記録を作った(合計31得点もリーグ最少)。
2008年
クラブスローガン :「闘走!?想いをひとつに?」京都元監督の美濃部直彦が監督に就任。DF青葉幸洋・DF筒井紀章・DF大森健作が現役引退、FW小林康剛・FW長谷川太郎らが退団した一方、DF西河翔吾・DF藤田泰成・MF米田兼一郎などJ1経験を持つ選手を補強した。また、新外国人として、からFWドゥンビアを期限付きで獲得。ドゥンビアは2年連続最下位だったチームを上位チームにも互角の戦いを演じるなど徳島の戦力アップに貢献し、さらに5月にはコートジボワール代表に選出された(チーム史上初となるA代表選出)。しかし、ドゥンビアが6月にスイスのBSCヤングボーイズへ移籍してチームから抜けると全く勝てなくなり、第20節から第37節まで1勝も出来ず(4分け13敗)、3年連続で最下位に終わった。社長の本浩司は3年連続最下位の責任をとり辞任、新田広一郎が後任社長へ就任した。第88回天皇杯も初戦(3回戦)で国士舘大学に敗北した。
2009年
クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 前進あるのみ」美濃部体制2年目。監督以外のスタッフが全員退団し、新たなコーチを招聘。また、昨シーズンから15人の選手が退団し、期限付き移籍だった外国人選手3人も契約を更新せず、MF石原卓・DF西河翔吾もレンタル元に復帰した。一方で、MF徳重隆明・DF三田光・GK高桑大二朗・GK上野秀章・MF井上渉・DF筑城和人・DF三木隆司・MF青山隼などのJ1経験者やDFペ・スンジン・FWファビオ・GK日野優などを獲得、東海大学卒のFW佐藤晃大らが新加入した。また、シーズン中の8月にC大阪から元U-17日本代表のFW柿谷曜一朗を期限付き移籍で獲得した。シーズン成績は19勝5分17敗の9位(18チーム中)と前年を上回る順位でシーズンを終えた。第89回天皇杯は初戦(2回戦)で鹿屋体育大学に敗北した。
2010年
クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 不断前進」美濃部体制3年目。FW柿谷曜一朗の期限付き移籍期間を延長、期限付き移籍だったMF青山隼を完全移籍で獲得、鳥栖からMF島田裕介、甲府からDF輪湖直樹、C大阪からMF濱田武とDF平島崇などの選手を獲得。また、名古屋からFW津田知宏を、広島からFW平繁龍一をそれぞれ期限付き移籍で獲得した。また、初の下部組織出身者としてユースからFW岡卓磨が昇格。7月にブラジルのトンベンセFCよりFWドウグラスが期限付き移籍で加入した。開幕から4連勝で一時は首位に立つが、その後は守備の不安定さもあり、負けが込んで失速、最終的に8位となりJ1昇格は成らなかった。また、この年を最後に徳島ヴォルティス・セカンドが活動休止となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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