微分解析機
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トムソンの円柱と球を使った解析機。潮汐の研究に使用された。

微分解析機(びぶんかいせきき、: Differential Analyser)は、微分方程式で表すことができるような問題について数値積分のようにして、ただし数値的に(ディジタルに)ではなく、「数量的に」(アナログに)解を得るアナログ計算機である。いくつかの構成要素から成っているが、積分計算を行う主要部である「積分器」は、回転する円盤と、それに円周部を接触させて回転しつつ放射方向に移動できる円盤から成っている。精度や目的は大幅に異なるが、機械の基本的な構成としてはフリクションドライブによる変速装置と共通するものがある。[1]
歴史キー・マクナルティ、Alyse Snyder、Sis Stump が微分解析機を操作しているところ(フィラデルフィアペンシルベニア大学電気工学科ムーアスクールにて、1942-45年ごろ)NASAの前身NACAのルイス飛行推進研究所にあった微分解析機 (1951)

微分方程式を機械を使って解く研究は、プラニメータを除けば、1836年、フランスの物理学者ガスパール=ギュスターヴ・コリオリが一階線型常微分方程式を積分する機械装置を設計したのが最初とされている[2]

任意の階の微分方程式を積分できる装置についての最初の文献は、ケルヴィン卿の兄ジェームズ・トムソンが1876年に発表した論文である[3]。トムソンはその装置を「積分機 (integrating machine)」と呼んでいたが、この論文と弟であるケルヴィン卿が1876年に発表した2つの論文[4][5]をもって、微分解析機の発明とされている[6]

ケルヴィン卿の助言に従い、トムソンの積分機を取り入れた海軍の射撃計算機(射撃盤)をアーサー・ポーレン(英語版)が開発しており、1912年ごろ電動の機械式アナログコンピュータが完成した[7]。イタリアの数学者 Ernesto Pascal も微分方程式の積分のために インテグラフ(英語版) を開発し、1914年に詳細を出版している[8]。しかし最初に広く使われた実用的な微分解析機は、1928年から1931年にかけてハロルド・ロック・ヘイゼンとヴァネヴァー・ブッシュMITで製作したもので、6個の機械式積分機を組み合わせたものである[9][10][6][11]。同年、ブッシュは学会誌にこの機械を「連続インテグラフ(英語版)」(continuous integraph) として発表している[12]。1931年にもその装置についての論文を発表したが、その際は「微分解析機」(differential analyzer) と呼んでいる[13]。その論文でブッシュは「この装置は(ケルヴィン卿が)かつて行った積分装置を相互接続するという基本的アイデアに基づいている。しかし、細部は全く異なる」と記している。1970年の自伝でブッシュは「最初の微分解析機が運用可能となるまで、ケルヴィン卿の業績は知らなかった」と記している[14]。ブッシュの研究室で微分解析機を動作させるため、1936年にはクロード・シャノンが助手として雇われていた[15]

マンチェスター大学ダグラス・ハートリーが、その設計をイギリスに持ち込み、1934年には学生のアーサー・ポーターと共に概念実証用の微分解析機を製作している。これがうまくいったため、大学がメトロポリタン=ヴィッカースに依頼して4台の積分機を使った実用機を1935年3月に入手。ハートリーは「これが合衆国以外で最初に稼働した微分解析機だ」としている[10][6][16]。続く5年間のうちにさらに3台が製作されている(ケンブリッジ大学クイーンズ大学ベルファスト、ファーンボローのロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント[17]。最初の概念実証機の積分機がマンチェスター大学の実用機と共にサイエンス・ミュージアムに展示されている。

ノルウェーでは独自にMITのものと同じ原理に基づき Oslo Analyzer を製作し、1938年に完成させた。12台の積分機を使っており、当時としては世界最大の微分解析機だった[18]

アメリカでは1940年代にメリーランド州の米陸軍弾道研究所やペンシルベニア大学電気工学科ムーアスクールでさらなる微分解析機が製作された[19]。後者はENIAC開発以前に大砲の弾道計算によく使われており、ENIACは微分解析機をモデルとしている点が多々ある[20]


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