復員輸送
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復員輸送艦となった元敷設艦「若鷹」(1947年)。兵装が撤去され、識別用の日章旗と艦名のローマ字表記が書かれている。

復員輸送艦(ふくいんゆそうかん)は、太平洋戦争終結後、海外に残された日本人本土に帰還させるために使用された艦船のこと。復員輸送船とも言われる。正確には第二復員省の特別輸送艦/特別輸送船に指定された艦船を指すが、一般には復員輸送艦(船)または単に復員船と言われている。
目次

1 概要

2 復員輸送艦船一覧

3 参考文献

4 脚注

5 関連項目

概要

大戦終結後にはアジア各地や太平洋の島々に約600万人以上[1]軍人軍属、一般人が残されており、それらの人々の日本への帰還は急務の問題だった。任務には客船が当たるのが一番良いのだが、当時の日本商船隊は戦時中の徴用や、それに伴う任務中の撃沈・沈没でほぼ壊滅状態であったので、大日本帝国海軍に所属していた艦艇のうち航行可能なものに加え、アメリカ海軍から供与されたリバティ船LST各100隻も動員された。旧海軍艦艇に関しては兵装を撤去したうえ、上甲板の空いた場所に仮設の居住区やトイレを設けて使用された。例えば丙型海防艦では便乗者443人収容、復員艦中最大の艦船である空母「葛城」の場合は格納庫を改造して1回に約5,000人が収容された[2]

復員輸送は1945年(昭和20年)10月から始められ、翌1946年(昭和21年)春から8月がピークとなった。その後は艦船数を徐々に減らし1947年(昭和22年)夏ごろまで続けられた。任務中に座礁などの事故で喪失した艦は、第20号輸送艦、第116号輸送艦、海防艦「国後」、駆逐艦「神風」、雑役船「光済」がある。

任務を終了した艦船のうち軍艦の多くは解体された。航行可能な駆逐艦以下の小艦艇は仮設設備を撤去のうえ特別保管艦となり、呉港などに係留保管、後に連合国に引き渡されている。少数ながら「宗谷」など戦後も国内で使用された例もある。
復員輸送艦船一覧 復員輸送艦となった「夏月」(1945年)。2番砲塔が撤去され、側面にローマ字表記が書かれてある。
復員輸送に使用された艦船[3]。(*は戦後完成の艦船)


航空母艦 : 鳳翔葛城

巡洋艦 : 八雲鹿島酒匂[4]

潜水母艦 : 長鯨

敷設艦 : 若鷹箕面

駆逐艦

峯風型 : 夕風汐風波風

神風型 : 神風

吹雪型 :

陽炎型 : 雪風

秋月型 : 春月宵月[5]夏月花月

松型、橘型 : [5]初桜初梅雄竹

樅型 : [5]


海防艦

占守型 : 占守国後

択捉型 : 択捉隠岐対馬福江

御蔵型 : 三宅、倉橋[6]、屋代[6]

日振型 : 生名[7]、四阪、波太

鵜来型 : 鵜来[7]、奄美、新南[7]、羽節、竹生[7]、神津[6]、宇久、高根[5]、保高、生野、志賀[8]、伊王、金輪

第1号型 : 第27, 37, 49[6], 55, 57, 59, 67, 71, 79, 81, 85, 87, 97[8], 105*,107*, 205, 207, 215, 217[8], 221, 227号

第2号型 : 第8, 12[8], 14, 16, 22[8], 26[9], 32, 34, 36, 40[9], 44, 48[6], 52, 58*, 60, 76[6], 77[6], 78*, 102[9], 104[8], 106, 116*, 118, 126, 132, 142*, 150, 154[8], 156[9], 158, 160, 192, 194, 196, 198号


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