この項目では、高千穂峰の側火山について説明しています。容器については「鉢」を、火山の火口については「火口」をご覧ください。
御鉢
北西から
標高1,408 m
所在地 日本
鹿児島県霧島市・
宮崎県小林市、都城市
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度53分07秒 東経130度54分36秒 / 北緯31.88528度 東経130.91000度 / 31.88528; 130.91000 (御鉢)
御鉢(おはち、みはち)は、九州南部に連なる霧島山の火山である。高千穂峰火山の西に接し、有史以降も噴火を繰り返している活火山である。古くから噴火を繰り返していたため江戸時代以前は火常峰と呼ばれていたが、火口の形状が飯櫃に似ていることから俗に御鉢とも呼ばれており、明治以降は御鉢の呼称が一般的となった。火口内と西斜面は鹿児島県霧島市、北斜面は宮崎県小林市、南斜面は宮崎県都城市に属する。 高千穂峰の西側斜面に寄り掛かるように重なる円錐形の火山であり、直径約600メートル、深さ約200メートルの円形火口を擁する。火口からは噴気
山容
火口東端と高千穂峰との間は窪んでおり馬の背のように見えることから「背門丘(せとを)」と名付けられている。背門丘は天孫降臨の舞台であったとされ、かつては千里谷あるいは天河原とも呼ばれていた。霧島神宮は欽明天皇(540-571)の時代に、ここに社殿が建立されたのが始まりとされる。噴火によってたびたび焼失したため、天暦年間には性空により麓の瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷される。
山体の地質は主として輝石安山岩からなる。度重なる噴火のため頂上付近の植生は乏しいが、荒れ地に耐えるミヤマキリシマなどを見ることができる。
噴火史西から西より御鉢火口
御鉢は高千穂峰が形成された後、今から3000年前以降に活動を開始した。有史以降の霧島山において最も活発に活動している火山である。以下、主要な噴火について述べる。他にも多数の噴火記録がある。
江戸時代以前
天平噴火
742年12月24日(天平14年11月23日)、太鼓が鳴るような音とともに噴火した。噴火日を11月28日(旧暦10月23日)とする説もある。
延暦噴火
788年4月14日(延暦7年3月4日)に噴火した。噴出物は片添スコリアと呼ばれている。
文暦噴火
1235年1月18日(文暦元年12月28日)に雷鳴のような音や火焔、火光を伴い噴火した。霧島山について記録に残っているものの中では最大規模の噴火であり、大量の噴石、火山灰および溶岩を噴出した。周辺にあった多くの寺社が焼失し、降り積もった火山灰は火口から20キロメートル離れた場所においても深さ60センチメートルに達した。噴出物は特に火口東側に広く分布し高原スコリアと呼ばれている。
永禄噴火
1566年10月21日(永禄9年9月9日)に噴火し焼死者多数の記録がある。