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神田川に架かるお茶の水橋から聖橋と右手の御茶ノ水駅を望む江戸時代の神田川と水道橋
(歌川広重『冨二三十六景』「東都御茶の水」)明治時代の御茶ノ水小松宮邸(ニコライ堂から撮影)
御茶ノ水(おちゃのみず)は、御茶ノ水駅を中心としたエリア[1]の広域地名(通称であり行政上の正式な地名ではない)。東京都千代田区の神田地区の一部(神田駿河台や外神田)とその北西側の文京区湯島・本郷の南部を含む。
表記は、現在では主に地域名には「お茶の水」「御茶の水」表記が使用され(道路標識等)、駅名には、東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅を含め「御茶ノ水」が使い分けられている[2]。御茶ノ水の名前の由来になった「お茶の水石碑」は御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口の西より横断歩道を渡った先にある。 台地上にあり、中央部を東西に走る掘割に神田川(両区の境界にあたる)が流れ、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央線が並走する。 江戸時代は、付近一帯が武家屋敷地であった。現在では、地区内と周辺に明治大学、日本大学理工学部・歯学部、東京医科歯科大学、順天堂大学などの大学や専門学校、各種予備校・学習塾などが立ち並び、日本国内最大級の学生街として知られる。日大病院や三楽病院、杏雲堂病院などの医療機関も多い。 東京都区部のほぼ中心に位置することもあり[3]、東京都心の繁華街の一つでもある。 明大通りの御茶ノ水駅近くを中心として国内最大規模の楽器店街でもある。浅草で1935年に創業した谷口楽器が、学生街であることに注目して1941年に明治大学横へ移転[4]。第二次世界大戦後に進駐軍の払い下げ楽器を下倉楽器が扱ったことから発展した[3]。うたごえ運動、フォークソング、エレキギター、ヴィジュアル系バンドなど音楽ブームにつれて店数や来店客が増え、2022年秋からはテレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の聖地巡礼での来街者も見られる[4]。 南へ下った神田神保町にかけてはスポーツ店街でもあり、また学生街である近いことから神田古書店街が御茶ノ水南隣の神保町と神田小川町に形成された。江戸の総鎮守である神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂等を始めとする宗教施設も立地し、文化ゾーンともなっている。
概要