御厨貴
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御厨 貴
(みくりや たかし)人物情報
生誕 (1951-04-27)
1951年4月27日(73歳)
日本
東京都
出身校東京大学法学部
学問
研究分野近現代日本政治史
オーラル・ヒストリー
研究機関東京都立大学法学部
東京大学法学部
東京大学先端科学技術研究センター
学位博士(学術)東京大学・2010年)
称号東京都立大学名誉教授
東京大学名誉教授
影響を受けた人物萩原延壽
学会日本政治学会
主な受賞歴東京市政調査会藤田賞(1981年)
サントリー学芸賞(1996年)
吉野作造賞(1997年)
脚注受章歴 紫綬褒章(2018年)
瑞宝中綬章(2024年)
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御厨 貴(みくりや たかし、1951年4月27日 - )は、日本の政治史学者政治学者博士(学術)東京大学論文博士・2010年)[1]

東京大学旧・東京都立大学名誉教授東京大学先端科学技術研究センター フェロー [2]放送大学客員教授。公益財団法人サントリー文化財団理事、サントリーホールディングス株式会社取締役。専門は、近現代日本政治史オーラル・ヒストリー

祖父は戦前の貴族院議員で、検事総長司法大臣を歴任した木村尚達。父はジョンソン社長で山梨学院大学教授を務めた御厨文雄。息子の御厨亮は、京都の劇団夕暮れ社 弱男ユニットの元メンバー。
人物

東京都生まれ。幼稚園のとき父親の転勤で福岡市に転居し、福岡教育大学附属福岡小学校に入学、同級生にバイオリニストの安永徹がいる[3]文京区立第六中学校東京都立小石川高等学校駿台予備学校[4]を経て、大学受験は東大のみを受験した[3]東京大学法学部卒業。在学中は茶道部、また佐藤誠三郎のゼミに在籍[5][6]

東京大学法学部助手旧・東京都立大学法学部助教授・教授、政策研究大学院大学教授、東京大学先端科学技術研究センター教授を歴任。2012年3月末に東京大学を早期退職。同年6月に東京大学名誉教授となった。2012年4月から2016年3月まで放送大学教養学部教授。

中学校3年生で、フジテレビの小川宏ショーに出演し、都立高等学校の学校群制度について選択の自由を奪っていると批判した[7]

高2の夏休みに「平沼騏一郎国本社」の題で論文をまとめ、校友誌に発表したところ、神島二郎朝日新聞紙にペンネームで書いていたコラムで紹介され、政治史研究者への道を強く意識した[8]。当時自身が校友会雑誌の編集長をつとめていて、1969年4月24日のコラム「こころの開拓」でとりあげられた[9]

1981年、『明治国家と地方経営』で東京市政調査会藤田賞、1996年、『政策の総合と権力』でサントリー学芸賞、1997年に『馬場恒吾の面目』で吉野作造賞を受賞[10]。2010年に博士論文「明治国家をつくる――地方経営と首都計画」を東京大学に提出し、博士の学位を取得[1]

東京大学で三谷太一郎伊藤隆、佐藤誠三郎らの指導を受け、明治国家中期の政治史、とりわけ首都を含めた各地方の都市計画・開発を巡る政治過程の分析からスタートし、戦後の東京都政や国土開発など現代政治の分析にも手を広げた。政治学の観点から考察する建築学都市計画にも造詣が深い。アメリカ流のオーラル・ヒストリーの手法を日本に持ち込み、多くの政治家や関係者の聞き取り調査を行っている。

御厨によれば、1993年5月に小沢一郎講談社で出した自著『日本改造計画』は、政治分野の記述のほとんどを御厨と飯尾潤北岡伸一が、経済分野は竹中平蔵伊藤元重代筆したものだという[11]

1990年代後半からは論壇でも盛んに同時代の政治を論じ、書評家としても知られる。近年はジャーナリズムの分野での活動が多く、テレビのコメンテーターや解説、週刊誌などにも多く登場する。2007年4月からは岩見隆夫(政治評論家・毎日新聞社編集委員のち特別顧問)の後任で、TBSテレビ日曜朝の「時事放談」の司会を引き継ぎ、2018年9月の番組終了まで務めた。

2010年7月、菅直人内閣の下で内閣府公文書管理委員会委員長に就任、第2次安倍内閣の2014年7月まで務めた。同委員長在任中に特定秘密文書の扱いが俎上にあがったが、「いずれにしても労働強化につながることは間違いない」という知見を示した[12]。2011年4月には、東北地方太平洋沖地震を受けて発足した「東日本大震災復興構想会議」の議長代理に就任。2012年2月、復興庁復興推進委員会委員長代理に就任。2016年9月から「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」座長代理[13]

60歳で東京大学を早期退職し放送大学へ移籍。その理由について「学問、夢のある研究をするためには、無駄や余裕が必要。かつての東大はそういうものを大切にしていたのに、今はあくせくしていて、まったくなくなった」と述べている[14]
メディアでの発言

2009年8月5日付け産経新聞に掲載のインタビューにおいて、民主党による政権交代の必要性について問われ、「民主党の政策がまとまっていないという指摘があるが、政権を獲ったことがないから仕方がない面もある」、外交や安全保障問題については「現実路線を踏まえて軌道修正すればいい。わからない問題に無理やり答えを出す必要はない」と発言[15]。民主党への政権交代が果たされた後の2011年、中央公論紙上での対談においては、「安全保障上の危機が発生したときには、今の民主党政権では対応不能。尖閣や米軍基地の問題で頭をのぞかせたように、外国を巻き込んだ案件は、内向き学級会主義では乗り越えられない可能性が高い」。「自民党ならば『危ない』と騒ぎ立てているうちに、誰かが何かやって形をつけるかもしれない。しかし民主党は、みんなが横一線に並んで『あ?』と言っている間に、深刻な事態に陥るような気がする」と述べた[16]

2011年10月13日付け毎日新聞に掲載のインタビューにおいて、大阪市長選候補(当時)の橋下徹について、「彼はある種のポピュリストの典型で、鬱屈した気持ちの人たちに夢を見せている」と分析。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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