御上神社
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御上神社


本殿(国宝
所在地滋賀県野洲市三上838
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度3分0秒 東経136度1分38.5秒 / 北緯35.05000度 東経136.027361度 / 35.05000; 136.027361 (御上神社)座標: 北緯35度3分0秒 東経136度1分38.5秒 / 北緯35.05000度 東経136.027361度 / 35.05000; 136.027361 (御上神社)
主祭神天之御影命
神体三上山神体山
社格等.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

式内社名神大

官幣中社

別表神社

創建伝・孝霊天皇6年6月18日
本殿の様式入母屋造
札所等神仏霊場巡拝の道第144番(滋賀第12番)
例祭5月14日
主な神事秋季古例祭(ずいき祭、10月14日
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}御上神社
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神体とする三上山(近江富士)野洲川対岸より。鳥居

御上神社(みかみじんじゃ)は、滋賀県野洲市三上にある神社式内社名神大社)、旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社琵琶湖南岸、「近江富士」の別名もある三上山(標高432メートル)の山麓に鎮座し、三上山を神体山として祀る。三上山は藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治伝説でも知られる。
祭神

主祭神 -
天之御影命(あめのみかげのみこと)。天津彦根命の子。天照大神の孫。日本第二の忌火の神とされる。

歴史

社伝では、孝霊天皇6年6月18日に天之御影命が三上山の山頂に降臨し、それを御上祝(神主)が三上山を神体神奈備)として祀ったのに始まると伝える[1]明治から昭和にかけての発掘調査では三上山ふもとの大岩山から24個の銅鐸が発見されており、三上山周辺では古来から祭祀が行われていたと考えられている。

養老2年(718年)3月15日に、藤原不比等が勅命によって遥拝所のあった榧木原と称された三上山麓の現在地に社殿を造営したという[1]

平安時代中期の『延喜式神名帳』では「近江国野洲郡 御上神社 名神大 月次新嘗」と記載され、名神大社に列している。古代から中世にかけて三上山山麓に東光寺があったとされる。数多くの伽藍・堂舎があったとも伝えられ、「三上古跡図」にその様子が描かれている。また、円融天皇によって当社は勅願所に定められている[1]

1876年明治9年)に近代社格制度において郷社に列せられた。

1890年(明治23年)に、本殿・拝殿・楼門が特別保護建造物に指定された機会に国庫補助を受けて解体修理が行われた[1]

1913年大正2年)に県社、次いで1924年(大正13年)に官幣中社に昇格した[1]太平洋戦争後は神社本庁別表神社に列している。

かつては三上山を神体山として祀っていたようであるが、現在は三上山は当社の境内の東に国道8号を挟んで立地し、本殿は境内の北に南向きで建てられているため方角は一致していない。
神階

六国史時代における神階奉叙の記録

天安3年(859年)1月27日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「三上神」。

貞観7年(865年)8月28日、従五位上から正四位下 (『日本三代実録』) - 表記は「三上神」。

貞観17年(875年)3月29日、正四位下から従三位 (『日本三代実録』) - 表記は「三上神」。


六国史以後

陽成天皇年間(876年 - 884年)、正一位 (社伝)


境内

本殿(
国宝) - 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺鎌倉時代後期の造営だと思われるが、縁廻り及び向拝は建武4年(1337年)頃の改造とみられている[2]。漆喰壁及び連子窓などがあり、神社・寺院・殿舎の様式を混合させたような形になっている。その独特な構造から「御上造」と呼ばれることもある。裏側には扉・庇があるが、三上山の遥拝所であった名残とする説があるほか、神宝庫・祭器庫としての建築とする説[3]がある。滋賀県下にある神社建築の国宝第一号である[4]

拝殿(重要文化財) - 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺で本殿と似た構造である。かつての本殿を移築・改造したものと伝えられており、鎌倉時代後期の造営だと思われる。

神輿舎

宝庫

楼門(重要文化財) - 三間一戸、入母屋造、檜皮葺。鎌倉時代後期の造営だと思われる。

社務所

悠紀斎田- 境内前にある斎田。昭和天皇即位時、大嘗祭に供える献上米の栽培地として指定された。以来毎年5月には御田植祭として、昔ながらの服装で田植えが行われる。

御旅所 - 三上山の麓にある。


拝殿(重要文化財

楼門(重要文化財)

境内
本殿(中央)の左手に若宮神社、右手に三宮神社と天神宮神社。

本殿裏面

悠紀斎田
鳥居奥に記念碑。

摂末社
摂社

若宮神社(重要文化財) - 祭神:
伊弉諾尊菅原道真公、天石戸和別命天之御桙神、野槌之神。本殿向かって左手に鎮座。鎌倉時代後期の造営。一間社流造で、屋根は檜皮葺。天石戸和別命以下の三柱は後に配祀された。

例祭:10月14日


三宮神社(滋賀県指定有形文化財)- 祭神:瓊瓊杵尊。本殿向かって右手に鎮座。室町時代の造営。一間社流造で、屋根は檜皮葺。かつては十禅師社と呼ばれていた。

例祭:4月14日


末社

大神宮社 - 祭神:
天照御大神

例祭:1月16日


御鍵取神社 - 祭神:天津彦根命猿田彦命


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