後藤祐一
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元プロ野球選手の「後藤雄一」とは別人です。

日本政治家後藤 祐一ごとう ゆういち
2014年撮影
生年月日 (1969-03-25) 1969年3月25日(55歳)
出生地 日本 神奈川県横浜市
出身校東京大学法学部
前職国家公務員(通商産業省・経済産業省
所属政党(民主党→)
民進党→)
無所属→)
希望の党→)
旧国民民主党→)
立憲民主党階G
称号法学士
公式サイト衆議院議員 ごとう祐一のホームページ
衆議院議員
選挙区(神奈川16区→)
比例南関東ブロック→)
(神奈川16区→)
(比例南関東ブロック→)
神奈川16区
当選回数5回
在任期間2009年8月30日 - 現職
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後藤 祐一(ごとう ゆういち、1969年3月25日 - )は、日本政治家、元通産・経産官僚立憲民主党所属の衆議院議員(5期)。立憲民主党役員室長。

希望の党公約担当責任者、旧国民民主党政務調査会長代行を歴任した。
来歴

神奈川県横浜市生まれ[1]相模原市立上鶴間中学校神奈川県立厚木高等学校東京大学法学部卒業。1992年、通商産業省(現:経済産業省)に入省。スタンフォード大学カナダ外務貿易省への出向を経験した後、2005年7月に経済産業省を退官した。

亀井善之の死去に伴い2006年10月に実施された衆議院神奈川16区補欠選挙民主党公認で立候補したが、亀井善之の長男で元秘書の亀井善太郎に敗れ、落選した。

2009年第45回衆議院議員総選挙では再び神奈川16区から出馬し、亀井善太郎を破り初当選した。

2010年6月2日、鳩山由紀夫が民主党代表と首相辞任を表明[2]。鳩山の辞任に伴う代表選挙(6月4日投開票)では菅直人の推薦人に名を連ねた[3]

2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、神奈川16区から民主党公認、国民新党推薦で立候補。参議院議員を辞職して立候補した自民党の義家弘介に約8千票差で敗れたが(惜敗率91.8%)、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、再選。同年12月25日に行われた代表選挙では馬淵澄夫の推薦人に名を連ねた[4]

2014年5月、細野豪志を中心に結成された自誓会に参加[5]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、神奈川16区で自民党の義家に1,489票差で勝ち、3選。

2017年9月の民進党代表選挙後、前原誠司代表の下で民共共闘に前向きな枝野幸男代表代行や長妻昭選対委員長が執行部入りしたことを受け、「(民共共闘見直しを主張していた)前原誠司新代表が、代表選の中で言っていた主張を貫けるのか」と懸念を示し[6][7]、その後離党を検討していることが報じられた[8][9][10][11]。後藤は離党報道による混乱の責任を取るとして、10日夜に神奈川県連代表の辞表を提出し、11日夜の県連臨時役員会で受理された[12][13][14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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