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出典検索?: "後宮からの誘拐"
『後宮からの誘拐』(こうきゅうからのゆうかい、ドイツ語:Die Entfuhrung aus dem Serail)K.384は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1782年に作曲した三幕からなるドイツ語オペラである。日本では『後宮からの逃走』とも呼ばれる(タイトルの日本語訳を参照)。
クリストフ・フリードリヒ・ブレッツナーが前年に発表した戯曲「ベルモンテとコンスタンツェ、または後宮からの誘拐 Belmont und Constanze, oder Die Entfuhrung aus dem Serail 」を、ゴットリープ・シュテファニーが改作したものによる(ただし、シュテファニーはブレッツナーに無断で改作して曲を付けさせたため、ブレッツナーから激しく抗議された)。オペラの筋は、主人公ベルモンテが召使ペドリッロの助けを借りながら、恋人のコンスタンツェをトルコ人の太守セリムの後宮(ハレム)から救い出すというもの。モーツァルトの5大オペラのひとつとして高い人気を誇る。中ではもっとも若い時期の作であり、溌剌としたリズムと親しみやすいメロディにあふれ、標準的な台詞をふくめた上演時間もやや短めである。 オーストリア皇帝ヨーゼフ2世の依頼により作曲された。1781年7月30日にシュテファニーから台本を受け取ったのちに作曲を開始した。同年9月にウィーンを訪問するロシアの大公の歓迎式典で演奏される予定だったが、大公の訪問が11月に延期されたうえ別の曲が使われることになったため、モーツァルトは曲の構成を練り直して翌1782年5月19日に完成。そして7月16日、ウィーンのブルク劇場で初演された。モーツァルトは前年に故郷のザルツブルクからウィーンに移住したばかりであったが、初演の成功によりウィーンでの名声を確立した。このオペラは、ブルク劇場でドイツ語オペラを成功させるという、皇帝の長年の望みを果たすものであった。それ以前にこの劇場で成功したドイツ語オペラは、外国語作品の模倣や翻訳によるものだけだったのである。 このオペラは、ジングシュピールと呼ばれるジャンルに属する。劇はセリフによって進行し、レチタティーヴォを欠いている。 このオペラは気楽な娯楽作品であり、モーツァルトの後期のオペラのような深い人物造形や深刻な側面はない(複雑な心理的葛藤はむしろ台詞役のセリムが多くを担う)。「エキゾチックな」トルコ文化の流行を反映しているのが特徴である。当時はトルコによるオーストリアへの軍事的な脅威がなくなったばかりだが、トルコへの刺激的な関心は残っていた時代であった。このオペラにはトルコ音楽(メフテルを参照)を西欧化したものが含まれる。モーツァルトはこれ以前の作品にもトルコ音楽を採用したことがある(ピアノソナタ第11番、ヴァイオリン協奏曲第5番を参照)。 オペラの登場人物もステレオタイプなトルコ観に基づいている。太守の家来で意地悪なオスミンが典型的で、低音の歌でさまざまな脅迫を加える。
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