征矢野晃雄
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後列中央、征矢野晃雄、前列、高倉徳太郎植村正久金井為一郎(右から2人目)、斎藤勇、1912年あるいは1913年の夏の山上寮員

征矢野 晃雄(そやの てるお、1889年1月22日 - 1929年4月26日)は、日本の神学者哲学者である。
生涯

長野県塩尻市出身。1910年(明治43年)日本基督教会富士見町教会植村正久に洗礼を受ける。富士見町教会有志青年の寄宿舎山上寮に材料する第一高等学校東京帝国大学を卒業する。卒業後は、福岡高等学校教授に就任した。

1926年(大正15年)に植村正久の死後、東京に戻り東京神学社東京女子大学で哲学を教える。東京神学社の同僚に高倉徳太郎がいる。

戸山教会(信濃町教会)に転会し、高倉の協力者になった。カントヤーコプ・ベーメトマス・アクィナスアウグスティヌスなどの研究を進めた。

1929年(昭和4年)に神奈川県茅ヶ崎町の自宅で病死した。
著作

『聖アウグスチヌス研究』

『信仰と道徳』

参考文献

『日本キリスト教歴史大辞典』
教文館、1988年

『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年

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