影山正彦
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1996年の全日本ツーリングカー選手権参戦マシン。

影山 正彦(かげやま まさひこ、1963年8月8日 - )は、日本レーシングドライバー神奈川県藤沢市出身。血液型はAB型。同じくレーシングドライバーの影山正美は実弟。
来歴

1984年に富士フレッシュマンレースでレースデビュー。1986年富士フレッシュマンレース・TS1300クラス(排気量1300tのツーリングカーによるクラス)でチャンピオンを獲得。1987年より全日本F3選手権にステップアップする。全日本ツーリングカー選手権では同年からホシノレーシング入りし、大ベテラン北野元とのコンビでR30スカイラインRSターボで参戦した。

1989年にレイトンハウスから参戦した全日本F3で全9戦中5勝を挙げ、シリーズチャンピオンに輝く。

1990年より、国内最高峰フォーミュラの全日本F3000選手権にステップアップ。前年のチャンピオンチームであるステラインターナショナル小河等とコンビを組んだ。しかしステラでの2年間で6位入賞1回と、常にチャンピオン争いに絡んでいた小河とのタイム差も大きく、F3000への順応には時間を要した。1991年初夏、F1に参戦するイタリアの小規模チーム・コローニから約2億円のスポンサー資金持ち込みを条件にF1参戦を打診されるも、予選通過にも苦しむ同チームの現状からこれを断ったと報じられる[1](注・10月のF1日本GPでこのコローニから参戦したのは服部尚貴であったが、予備予選不通過に終わっている)。

1993年、同年が最後となったグループA規定の全日本ツーリングカー選手権では星野一義とコンビを組み、カルソニック・インパル日産・スカイラインGT-Rでシリーズチャンピオンを正彦一人が獲得した。

1994年、この年より本格的にスタートした全日本GT選手権に参戦し、GT1クラス(現在のGT500クラス)のシリーズチャンピオンとなった(なお準備不足・参加台数不足のため公式記録に含まれないが、正彦は前年のシリーズチャンピオンにして初代チャンピオンでもある)。翌1995年も全日本GT・GT1クラスを連覇した。

フォーミュラ・ニッポンにも1996年の発足より参戦し、1998年には2勝を挙げた。またル・マン24時間レースにも1996年より参戦し、1998年に星野一義、鈴木亜久里と組んで日本人3人のチームでは初の表彰台となる3位入賞を果たした。同レースでは弟の正美も他の車両で10位に入った。

以降のレース活動はスーパー耐久などツーリングカーレースでの活動がメインとなっており、2004年にはグループNプラス(現ST5)クラスのシリーズチャンピオンに輝いている。

2007年は、INGINGF3チームの監督に就任。所属ドライバーのロベルト・ストレイトがシリーズ2位となるなどマネージメント手腕を見せた。

2010年代以後はトヨタ自動車の評価ドライバーとして発表前の市販車をプロドライバーの目線から走行テストを担当している。2012年からはTOYOTA GAZOO Racingの一員としてニュルブルクリンク24時間レースに参戦し、2014年にトヨタ・86、2015年にレクサス・LFA Code Xでクラス優勝を収めた。2016年には発売前のトヨタ・C-HRを駆りクラス3位に入った。この他、86/BRZレースのアドバイザーも務める。
余談

自身のヘルメットのデザインは、所属した
レイトンハウスの先輩で、同じ神奈川県出身である萩原光のデザイン(AをMに変更したもの)を受け継いでおり、弟の正美は兄の色違いである(兄は青、弟は黄色)。

かつて発売されていた日産・180SXのテレビコマーシャルで、手の動きだけを演じる「手タレ」として出演した事がある。CM撮影で実際に走った180SXのドライブも本人が担当していた。

1995年、フジテレビダウンタウンのごっつええ感じ』の「草野球王」に出演。 近藤真彦のチームとタッグを組み、浜田雅功率いるチーム「Hごっつ」と対戦した。

レース戦績

1987年

全日本F3選手権(ラルトRT31・トヨタ)(シリーズ9位)

全日本ツーリングカー選手権(シリーズ54位)


1988年

全日本F3選手権(#16 LEYTON HOUSE RT-31TOM'S/ラルトRT31・トヨタ)(シリーズ13位)

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(シリーズ36位)


1989年

全日本F3選手権(#16 LEYTONHOUSE RT-33無限/ラルトRT-33・無限MF204)(シリーズチャンピオン)

全日本ツーリングカー選手権(#1 TRAMPIO SIERRA/フォード・シエラRS500)(シリーズ8位)


1990年

全日本F3000選手権(ステラ・インターナショナル #21 ローラT90-50・無限MF308)(シリーズ19位)

全日本ツーリングカー選手権(シリーズ6位)


1991年

全日本F3000選手権(ステラ・インターナショナル #20 ローラT91-50・無限MF308)

全日本ツーリングカー選手権(シリーズ7位)

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(シリーズ29位)


1992年

全日本ツーリングカー選手権(#12 カルソニックスカイライン)(シリーズ8位)

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(#24 YHPニッサンR92CP)(シリーズ14位)


1993年

全日本GT選手権チャンピオン(NISMO #2 カルソニックGT-R)(注)参加車両2台+aであり、この年のレース自体も全3戦しか成立していない。

全日本F3000選手権(PIAA NAKAJIMA #14 レイナード93D・無限MF308)(シリーズ10位)

全日本ツーリングカー選手権(#12 カルソニックスカイライン)(シリーズチャンピオン)


1994年

全日本GT選手権・GT-1チャンピオン(HOSHINO RACING #1 カルソニックスカイライン)


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