弾道飛行
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非常に高い場所から大砲を水平に発射した際の弾の飛行経路。図のうち、AとBがここでいう弾道飛行にあたる。

弾道飛行(だんどうひこう、: sub-orbital flight)は、大砲のように弾道を描く飛行形態。一般的には、弾道ミサイル軌道に到達しないロケットの飛行経路を指す言葉として使われる。宇宙開発の分野では宇宙弾道飛行や準軌道飛行と呼ばれることもある (sub-orbital spaceflight)。

ICBMなどの弾道ミサイルの中には、高度1000kmというスペースシャトルの飛行高度(?578km)以上の高さに達するものもあるが、弾道飛行では速度が第一宇宙速度(28,400 km/h)を超えないため、いずれは地表に到達し、地球を回る軌道となることはない。
有人弾道飛行

宇宙飛行という観点から見ると、弾道飛行は宇宙空間に到達でき、かつ必要な速度は抑えられるため、最初の目標とされてきた。1961年アメリカ初の有人宇宙飛行を実現したマーキュリー計画も、当初は16分間の弾道飛行であった。また、2004年Ansari X Prizeに参戦した民間企業による宇宙船として初めて有人宇宙飛行を実現したスペースシップワンも、高度100km、マッハ3の弾道飛行であった。2010年現在、カーマン・ラインを超える弾道飛行は宇宙旅行の対象となっている。
BP-190計画詳細は「BP-190計画」を参照

ソビエト連邦で1946年から1947年にかけて接収したV2ロケットを基に有人弾道飛行を実施する計画がロケット技術者のMichael Tikhonravovと化学者のNikolai Chernyshevによって策定され、クレムリンで協議された[1][2][3][4]

この計画では姿勢制御装置生命維持装置を装備した与圧式カプセルを備え、カプースチン・ヤール から打ち上げ、高度190kmまで上昇後、カプセルが分離してパラシュートで降下して着地寸前に減速用の逆噴射小型ロケットを使用して軟着陸する予定だった[5]OKB-1の一員だったM.K.Tihonravovが提案した。この計画にはBP-190の名称が与えられ、1947年に作業に着手して1940年代末から1950年代初頭にかけて国内で入手可能な技術で軌道周回と人工衛星の軌道投入に到達可能な速度の実現可能性を実証した[4]。1950年から1953年にかけてTihonravovのチームはロケットの問題の解決に注力した[4]セルゲイ・コロリョフは当初、彼らを支援していたものの、有人飛行は時期尚早であるとして後に反対の立場にまわる事になる[1]。同時期OKB-1R-5の受注を抱えていて有人飛行に着手する余裕が無かった[6]
マーキュリー・レッドストーン3号マーキュリー・レッドストーン3号詳細は「マーキュリー・レッドストーン3号」を参照

マーキュリー・レッドストーン3号は、アメリカ航空宇宙局有人宇宙飛行計画のひとつでマーキュリー計画において最初に打ち上げられた有人機である。


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