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弾道ミサイル(だんどうミサイル、英: ballistic missile)は、大気圏の内外を弾道を描いて飛ぶ対地ミサイルのこと。弾道弾とも呼ばれる。弾道ミサイルは最初の数分の間に加速し、その後慣性によって、いわゆる弾道飛行と呼ばれている軌道を通過し、目標に到達する。
歴史
V2/A4ペーネミュンデ博物館のV2
世界初の弾道ミサイルは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツがヴェルナー・フォン・ブラウンに依頼し開発したアグリガットA4を兵器転用したV2ロケットである。液体酸素とエタノールを燃料とするこのミサイルは大戦中に3000発以上が使用され、主にロンドン、アントワープなどへの攻撃に使われたが、戦局を変えるには至らなかった。
アグリガットはシリーズ化されており、固定翼を搭載し弾道飛行終末段階で滑空するA4b、ヨーロッパから北米が攻撃可能な射程を持ったA9/A10など、開発も進めていたが終戦により中止となった。 大戦終結後、ナチス・ドイツのロケット技術は戦勝国によって持ち出され、これを元にそれぞれの国で独自の研究が始まった。アメリカやイギリスが鹵獲した完成品の打ち上げテストで満足している中、ソ連だけは熱心に研究を進めていた。ソ連はドイツに残っていた資材を用いて自国でV2/A4を生産した他、改良版であるR-1(SS-1A)、拡大版であるR-2(SS-2)、ソ連の独自技術を加えたR-5(SS-3)がコロリョフ設計局を中心に次々と開発された。この後、コロリョフ設計局はより大型化した大陸間弾道ミサイル(ICBM)であるR-7(SS-6)、R-9(SS-8)を開発し、ソ連領内から北米を射程圏内に収めるようになる。これらのミサイルはまだ信頼性が低く、また、少数が配備されたに過ぎないが、大陸間弾道弾の出現は当時まだ大型ミサイルが無かったアメリカをパニック状態に陥れた。こののち開発されたR-16(SS-7)が1962年に大量配備され、ようやくソ連の核攻撃能力が実効性のあるものとなった。 V2/A4の設計を元に、常温保存が可能な液体燃料を使用する別のエンジンを備えたミサイルがR-11(SS-1B)であり、スカッド(Scud-A)のNATOコードネームが与えられた。R-11はさらにエンジンが改良されたR-17(SS-1C Scud-B)となる。R-17はソ連の軍事援助によって各地に輸出され、その後の多くの紛争で使用された他、リバースエンジニアリングによって誕生した多くの派生ミサイルの先祖となった。 アメリカにおけるロケット関連の研究は、戦争直後は低調であった。空軍のマタドールやメイス、海軍のレギュラスのように、アメリカはむしろ有翼の巡航ミサイルの開発に熱心であった。しかしながらアメリカに渡ったV2/A4開発チームの主要メンバーであるフォン・ブラウンとドルンベルガーらは陸軍と組んでロケットの開発を続けており、1959年にはアメリカで最初の弾道ミサイルであるレッドストーンが西ドイツに配備されている。一方大型化にあたっては、まずレッドストーンの後継として空軍のソーと陸海合同のジュピターが計画されたが、後に海軍は計画から降り、独自に固体燃料のポラリスを開発する。その後国防総省の決定で中・長距離弾道ミサイルの管轄が空軍にまとめられることになり、ジュピターもまた空軍のミサイルとなる。ジュピターは1959年にトルコとイタリアに、ソアーは1958年にイギリスに配備された。 1957年のソ連のR-7配備と、人工衛星スプートニク1号の打ち上げはアメリカ国内にスプートニク・ショックおよびミサイル・ギャップ論争と呼ばれる政治的議論を発生させた。1960年アメリカ合衆国大統領選挙において民主党候補者のジョン・F・ケネディはミサイル・ギャップの原因として共和党の国防政策を強く批判し、勝利の要因の1つとなった。ところがケネディ政権の国防長官ロバート・マクナマラはミサイル・ギャップはそもそも存在せず、むしろアメリカのほうが弾道ミサイルの開発、配備数どちらもソ連を大きくリードしていることを知った。共和党の候補者リチャード・ニクソンはU-2などの情報収集に支障が生じることを恐れて反論しなかったとされている。 V2/A4の発展計画の一つに水密の大型キャニスターに納めたミサイルをUボートで北米沿岸まで曳航し、発射するという物があった。実現はしなかったが潜水艦から弾道ミサイルを発射するアイデアがかなり初期から検討されていた事がわかる。ソ連は1959年にR-11(SS-1B)を改良したR-11FMを開発し、これをズールー型通常動力潜水艦に搭載して、史上初の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)とした。その後アメリカで原子力潜水艦(SSN)が開発され、ポラリスA-1ミサイルが実用化されると、このミサイルを搭載するジョージ・ワシントン級潜水艦発射弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)が1960年に実戦配備される。米海軍のSLBMは、こののちポセイドンC-3からトライデントD-5へ進化している。 SSNの開発に遅れを取ったソ連では、ヤンキーI型とR-27(SS-N-6)が就役したのは1968年になった。また、イギリスとフランスもSLBMを自国の核戦力の主力としており、イギリスはアメリカからトライデントD-5を購入してヴァンガード級原子力潜水艦に搭載し、フランスは自国開発のMSBS M45ミサイルを搭載したル・トリオンファン級原子力潜水艦を運用している。中華人民共和国も独自に開発した巨浪1号SLBMを搭載する夏(Xia)型原子力潜水艦を運用している。 1962年には中距離弾道ミサイル(IRBM)のR-12(SS-4)がキューバに配備された事を契機としてキューバ危機が発生している。キューバ危機の間、デフコン2が発令され、北米配備のICBMであるアトラス、タイタンI、試験配備が始まったばかりのミニットマンIと、イギリスに配備されたソアーIRBM、トルコ、イタリアに配備されたジュピターIRBMは実際に発射準備態勢に入った。
R-7とR-11
ミサイル・ギャップ
SSBNの出現ポラリス
キューバ危機アトラス