弾丸
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「発砲」はこの項目へ転送されています。発砲時の音については「銃声」をご覧ください。
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出典検索?: "弾丸" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2008年11月)
ベルトリンクで連結された7.62x54mmR弾20世紀に英国の王立砲兵(英語版)隊によって用いられたさまざまな砲弾。壁際に立てられたうち、左から二?四つ目では、砲弾と金属薬莢が組み合わされている。現代の典型的な実包の構造図。1:弾頭。2:薬莢。3:発射薬。4:リム。5:雷管

弾丸(だんがん、: bullet)とは、火器から発射されて飛ぶ物体のこと[1]銃弾および砲弾の総称である[1]。一般的には単に「弾(たま)」ともいう。
概説

から発射され飛ぶ物体の総称が「弾丸」である。射手の狙い通りに弾丸が目標に当たれば、目標に物理的損傷を与えることになる。

弾丸の材質や形状は用途により多岐にわたる。
銃弾

一言で「銃弾」といっても、現代では一般に飛んでゆく弾は単体でにこめられるのではなく、弾を発射するための火薬類や着火用の雷管などとともに薬莢と呼ばれる一種の容器に収められ、一体化した形で事前に用意されている。弾頭・発射薬銃用雷管薬莢に収められて一体化した状態を「実包」や「弾薬」という。

弾頭の材質や構造はいくつかあり、たとえば広く用いられている「フルメタルジャケット」というタイプは、弾の中心部分(「弾芯」、: core コア)は合金であり、それを銅合金の覆い(「被甲」、: jacketジャケット)で覆った構造になっている。

現代の銃弾の分類法としては、弾頭の構造・形状・材質などにもとづいて「フルメタルジャケット / ソフトポイント / ホローポイント...」などと分類されることが多い(詳細は後述)。

一方、散弾銃散弾では、実包は円柱の形にまとめられ、発射と同時に、多数の球状の小さな弾丸がバラ撒かれるような状態で飛んでゆく。

なお、銃弾を実際に発射することを「発砲(はっぽう)」という。
砲弾さまざまな砲弾のカットモデル。左から90mm榴散弾、120mm銑鉄製焼夷弾、75mm榴弾、75mm榴散弾。

現代の砲弾は構造としては、弾体・炸薬・信管・弾帯からなる[2]。使用目的により、榴弾徹甲弾照明弾焼夷弾ガス弾などがある[2]

実包型で一体式になっている物もあれば、射程を加減するために弾頭装薬が分離している形式もある。詳細は「砲弾」を参照
歴史

鉄砲大砲が生まれた時代、弾丸はその名称に「丸」という漢字が入っていることからも分かるように、元々は球形のものであった。

しかも初期の弾丸は、素焼きで出来た物が多かった。例えば一般に「種子島鉄砲伝来」とされている1543年から遡ること80年前、中国から琉球王国経由で「石火矢(いしびや)」という鉄砲の一種が日本にもたらされていて、琉球使節がその鉄砲を実際に試射してみせて公儀に献上した、とする記述が『蔭涼軒日録』には掲載されているが、同目録には、「石火矢」の弾丸は石や素焼き製、と記述されている[3]

近世期の薩摩藩では弾薬の大きさの指定として、「6以上(22グラム前後)」とする[4]

ライフリングがない時代、球形の弾は銃口から発射された後、飛んでゆくあいだ空気抵抗が強く、弾速が落ちやすく弾は遠くまで飛びづらく、またジャイロ効果を持たない弾道も野球の変化球のように変化しがちで安定せず、目標に的中する確率も低かった。

マッチロック式銃の場合、1発撃つたびに、まず銃を垂直に立てるように持ち、銃口から装薬を注ぎ入れ、次に銃口から弾を入れて「さく杖」と呼ばれる棒で押して固め、火蓋(=火皿の蓋。一種の安全装置)を開いて火皿に着火薬を入れて閉じ、「火挟」に火縄をセットする、という手順である。この一連の装填作業に要する時間は、結局、射手の腕によってまちまちであり、たとえば不慣れな射手では1 - 2分ほどかかり、熟練の射手が落ち着いて行う場合でも、数十秒程度かかったなどと推定されてもいる。これは発火装置が異なるフリントロック式銃でもパーカッションロック式銃でも、前装式である限りは変わらなかった。

「弾込」の時間を短くするために、火薬を粉の状態のまま銃口から入れるのではなく「あらかじめ所定量を紙の袋に入れておき、それを銃口から入れる」という紙製薬莢のもっとも素朴な形態は、14世紀には一応発明されていた。が、実際に広く使用されるようになったのは、後の時代である。シャスポー銃の実包(1866年

弾頭・発射薬・着火薬が薬莢で一体化されたものは、1808年パリで、スイスの銃職人のJean Samuel Paulyとフランスの銃職人Francois Prelatによって開発された。弾頭は球形で、薬莢は真鍮製もしくは製であった。これも普及したのは後の時代である。

米国では南北戦争の時期(1861年-1865年)にライフル銃が普及し、ミニエー弾が使われるようになったが、その中でシャープス銃が用いられた。この銃の特徴として発射薬+弾という方法で装填することもし、一体型の紙薬莢で装填することもできた。後に金属薬莢方式にも改修されている。1850年代にはペッパーボックスピストルが、1860年代-1870年代になると多くの銃製造業者が回転式拳銃を製造し、連発銃時代を迎える。この中でスミス&ウェッソン社からは金属製の薬莢に入ったリムファイア実包が実用化され、メタリックカートリッジの普及が進んだ。現在、使用されている実包の直接の先祖である。

後に、弾の形状は弾速を増大させるために後端をすぼめたボートテイル状に進化したものが開発されたり、着弾した時に人体ダメージを大きくすべく、あえて弾頭の先が平らな形状や窪んだ形状のものなども開発された。

かつて用いられた「球形の弾丸」は現代では廃れてほとんど戦場では見られなくなったが、キャニスター弾で使われる散弾がその名残を今に伝えている。
日本の戦国時代の弾丸

戦国時代の日本では鉄砲の需要にともない弾丸の材料であるの需要も高まったが、長篠古戦場から出土した弾丸の分析結果から、7割が国産であり、3割が外国産で、タイ産鉛も確認されており(後述書)、これは南蛮貿易により 取り寄せられたものとみられる[5]。他の金属製の弾丸の場合、鉛製弾丸に比べて飛距離が短いという欠点があるが(前掲書 p.42)、西日本から出土する弾丸のほとんどが鉛製であり、東日本では製の弾丸が多く、地理的要因による物流の格差がみられる(前掲書 p.42)。平山優は武田軍の軍役定書から長篠の戦いにおける銃器保有率は武田方も織田方も大差はなかったとしており、問題だったのは、銃弾の材料の方であったとする(前掲書 pp.36 - 39)。


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