強襲揚陸艦
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スペイン海軍「フアン・カルロス1世」。全通飛行甲板とウェルドックを備えている。

強襲揚陸艦(きょうしゅうようりくかん、英語: Amphibious assault ship)は、揚陸艦の一種。元々は全通飛行甲板を備えたヘリコプター揚陸艦(LPH)を指していたが、後にウェルドックを備えたLHA (Landing helicopter assault) やLHD (Landing helicopter dock) が登場すると、これらも含まれるようになった[1][2]
大戦中の試み.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}全通飛行甲板を備えた「あきつ丸」。飛行甲板後方の機体は三式指揮連絡機艦首甲板に飛行甲板を備えたLST-906

大日本帝国陸軍では、海軍航空母艦とは別途に、類似した機能を備えた陸軍特殊船を建造していた。これらは上陸用舟艇飛行機の両方を搭載する上陸戦用の特殊輸送船であり、上陸部隊を乗せた舟艇を発進させると同時に搭載機をも船上から発進させ、泊地の防空や敵陣地の偵察のほか、攻撃に使用するという構想であった[3]

まず、1934年竣工の「神州丸」で航空機の発艦に対応したのち、発展型として1942年に竣工したあきつ丸では全通飛行甲板を設置し、より本格的な空母に近い構造となった。同船は海軍の空母と比べると速力などの性能が限定的であり、当初は航空機運搬船として使用されていたが、後に同船でも発着できる三式指揮連絡機カ号観測機が登場すると、艦上運用が行われることになった[3]。ただし、これらは当初計画されていた上陸戦用というよりは、護衛空母として対潜哨戒にあたるためのものであった。また、航空機の艦上運用を想定した改造は行われたものの、1944年秋に撃沈された結果、空母として使用する機会は得られなかった[4]

一方、アメリカ海軍も、LST-1級戦車揚陸艦の一部に飛行甲板を設置して連絡機観測機の運用を試みており、まず1943年8月のシチリア島上陸作戦の際にLST-386が投入された。続くサレルノ上陸作戦(アヴァランチ作戦)でLST-337が投入された際には風が弱く1機しか発艦させられなかったが、この構想は依然として魅力的であり、1944年1月のアンツィオの戦いのためにLST-16、また南フランスへの上陸作戦のためにLST-525・906も改修された[5]

LSTの構造上、艦尾の艦橋構造物が邪魔になって全通飛行甲板を設けることができないため、これらの艦はいずれも航空機を発艦させることはできても着艦させることはできなかった。1944年8月には、LST-776にブロディー着艦装置を設置し、メキシコ湾上で着艦実験を行った。同艦は沖縄戦で実戦投入されている[5]
LPHの誕生とLHA・LHDへの発展CH-53を搭載した「イオー・ジマウェルドックの門扉を開放した「ベロー・ウッド」「ヘリコプター揚陸艦」も参照

ヘリコプターの発達を受けて、アメリカ海兵隊では水陸両用作戦でのヘリボーン戦術の活用について模索していた。海軍もその洋上拠点となるヘリ空母について検討しており、当初は攻撃輸送艦(APA)に航空母艦としての機能を組み合わせたものとして、APA-Mと仮称されていた。実験的に護衛空母「セティス・ベイ」を改装したのち、まずは1958年度から1966年度にかけ、ヘリコプター揚陸艦(LPH)としてイオー・ジマ級7隻が建造された[注 1]。また、これと並行してヘリコプターの運用能力は妥協しつつ、上陸用舟艇の運用能力を強化したドック型輸送揚陸艦(LPD)の計画も進められ、1959年度よりローリー級の建造が開始された[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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