張美人_(宋仁宗)
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張美人(ちょうびじん、生年不詳 - 天聖6年9月27日1028年10月17日))は、北宋の第4代皇帝仁宗の美人(側室)。皇后を追贈されたが、同じく張姓の温成皇后とは別人である。
経歴

貝州清河県の人。上将軍の張美(中国語版)の子の張守瑛の義理の孫娘にあたる[1][2]。天聖初、郭氏とともに選抜され後宮に入った。仁宗は張氏を寵愛しており、皇后に立てたいと望んだが、皇太后劉氏が反対したため沙汰やみとなった。天聖2年(1024年)11月、皇太后の意のままに郭氏が皇后に立てられた。

2年後の天聖4年(1026年)4月、張氏は正五品才人となった。天聖6年9月癸丑(1028年10月12日)、正四品美人の位に進められて、その時にはもう病気になり、5日後(10月17日、霜降)に死去した。

明道2年(1033年)、皇太后劉氏が崩じた後、仁宗は初めて自身の実母が李宸妃であったことを知り、深く悼んだ。同年11月、張美人は皇后を追贈されたが、を賜ることと宗廟に祀ることはなかった。
脚注^ 『宋会要』景祐元年二月九日(1034年3月2日)、殿直の張師古(張美の曾孫)は、「故妹美人先詔令為臣祖守瑛之女、近蒙聖恩追冊充皇后、祖守瑛未蒙封贈」と求めた。「詔特贈ケ州観察使」。張美の家族と張美人とは、詔令による義理の親族関係とも考えられる。
^宋仁宗追封皇后的張美人(非温成)_華?_華?_新浪博客

伝記資料

『皇宋十朝綱要』

『故美人張氏特追冊為皇后制』










の皇后
北宋

昭憲杜太后* / 孝恵賀皇后* / 孝明王皇后 / 孝章宋皇后 / 淑徳尹皇后* / 懿徳符皇后* / 明徳李皇后 / 元徳李皇后* / 章懐潘皇后* / 章穆郭皇后 / 章献劉皇后 / 章懿李太后* / 章恵楊太后* / 仁宗郭皇后 / 慈聖曹皇后 / 温成張皇后* / 仁宗張皇后* / 宣仁高皇后 / 欽聖向皇后 / 欽成朱皇后* / 欽慈陳太后* / 昭慈孟皇后 / 昭懐劉皇后 / 顕恭王皇后 / 顕粛鄭皇后 / 明達劉皇后* / 明節劉皇后* / 顕仁韋皇后* / 仁懐朱皇后
南宋

憲節?皇后 / 憲聖呉皇后 / 成穆郭皇后* / 成恭夏皇后 / 成粛謝皇后 / 慈懿李皇后 / 恭淑韓皇后 / 恭聖楊皇后 / 寿和謝皇后 / 度宗全皇后
*:追封皇后


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