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満洲国の政治家張景恵
生年月日1871年
出生地 清・盛京将軍管轄区錦州府広寧県台安(現・ 中国遼寧省鞍山市台安県)
没年月日1959年11月1日(1959-11-01)(87?88歳)
死没地 中国・遼寧省撫順市戦犯管理所
所属政党協和会
第2代国務総理大臣
在任期間1935年5月22日 - 1945年8月18日
皇帝康徳帝
軍事参議院院長
在任期間1931年3月 - 1931年12月
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張 景恵(ちょう けいけい、1871年(清同治10年) - 1959年11月1日)は、中国の政治家・軍人。字は叙五。満洲国国務総理大臣で、中華民国軍事参議院院長や実業総長などを歴任した。通称「豆腐総理」(実家が豆腐屋だったことによる)。 1871年、盛京将軍管轄区錦州府広寧県台安(現在の遼寧省鞍山市台安県)に生まれる。青年期に日清戦争が始まると台安近辺も戦場となったため、台安県八角台に武装自衛団を組織した。この後、この武装自衛団は馬賊として職業化していき、張作霖に帰順して義兄弟となる。 張景恵 1905年に張作霖が清朝の東三省総督趙爾巽に帰順すると張景恵もこれに従い、奉天で治安維持のための軍務を歴任する。1910年には奉天講武堂で軍人としての専門教育を改めて受けている。 1911年に辛亥革命が勃発すると、清朝の武官であった張景恵は革命勢力を弾圧した。しかし結局清朝は崩壊し翌1912年に中華民国が成立することになるが、趙爾巽が清朝から横滑りで奉天都督に就任したために配下である張景恵も中華民国陸軍第27師団長に任命され、革命勢力から追われる事なく継続し奉天で軍務に当たることとなった。もっとも、張景恵を招聘した趙爾巽はすぐに下野してしまったため、しばらくは昇進もない状態が続いた。1916年に当初の中華民国で軍権を掌握していた袁世凱が死亡し、袁世凱が率いていた北洋軍閥が分裂状態に陥ったため張作霖と同様に勢力を強めることとなる。 迷走する北京政府を尻目に張作霖は着実に『奉天派』を組織してゆき、その中で張景恵は瞬く間に出世を果たし、1918年には奉天軍副総司令に就任している。この後も奉天派の重鎮として張作霖と行動を共にし、1926年に北京政府の中華民国陸軍総長に就任した。 だが1928年に国民党の?介石の北伐によって張作霖が失脚すると、張景恵も同時に失脚する。巻き返しを図るために奉天に戻ろうとした張作霖の乗った列車は爆破され(張作霖爆殺事件)、随伴していた張景恵も重傷を負う。 張作霖の後を継いだ張学良は、その基本方針が「国内他勢力と合同してでも諸外国に対抗できる国力を持つ」事だったため、1929年1月に?介石の南京国民政府に帰順した。張景恵もこれに従って南京国民政府で軍事参議院院長を務める。 1931年9月に満洲事変が勃発すると南京政府と袂を分かち、満洲に帰ってしまう。満洲に帰った張景恵は、哈爾浜における自らの地盤と奉天派時代からの関東軍とのコネを活かし、黒竜江省省長に就任、次いで1932年2月には東北行政委員会 1935年(康徳2年)5月21日、前任者の鄭孝胥が日本に反対意見を述べて更迭されたことにより、関東軍の強い推薦によって満洲国の二代目国務総理大臣に就任した[4]。 表向きは皇帝の愛新覚羅溥儀に次ぐ満洲国のNo.2となったが、同国は関東軍が実質的に支配していたため、政治的実権はほとんどないに等しいものであった。第二次世界大戦中の1943年11月には東京で開かれた大東亜会議に満洲国代表として出席した。 1945年8月17日に満洲国が崩壊すると、8月20日に張景恵ら満洲国要人は行政を崩壊させないためにソ連軍の新京進駐前に「東北暫時治安維持会」を結成するも22日にソ連軍に解散させられ、シベリアに連行。ハバロフスクの第45特別地区(将校収容所)に収容された[5]。 1950年に、前年成立した中華人民共和国に引き渡され、撫順戦犯管理所に収監される。やがて80歳を迎えるころ、殆ど歯が抜け落ちてしまった張景恵のために管理人が歯科医を呼び、食事は1日5回の流動食となった。これには張景恵も感動し「私は政府に対してとても罪深いことをしたのに、このように手厚く世話をしてくれるとは、考えてもみなかった」と周囲に語っていたという。 1959年1月11日13時、獄中にて動脈硬化が原因の心不全により死亡。撫順戦犯管理所で同室になった溥儀によると、張景恵は「もうろくしてしまっていて、普段から働きもせず、ほとんど話さなかった」とのことである。
プロフィール
生い立ち
軍歴
各種表記
繁体字:張景惠
簡体字:?景惠
?音:Zh?ng J?nghui
ラテン字:Chang Ching-hui
和名表記:ちょう けいけい
発音転記:ジャン・ジンフイ
英語名:Zhang Jinghui
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張作霖爆殺事件
満洲国へ
満洲国総理大臣就任大東亜会議に参加した各国首脳(左からバー・モウ、張景恵、汪兆銘、東條英機、ワンワイタヤーコーン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース)
晩年
死去
家族
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