中華人民共和国 甘粛省 張掖市
張掖鼓楼張掖鼓楼
甘粛省中の張掖市の位置甘粛省中の張掖市の位置
簡体字?掖
繁体字張掖
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カタカナ転写チャンイェー
国家 中華人民共和国
省甘粛
行政級別地級市
面積
総面積40,874 km²
人口
総人口(2004)128 万人
経済
電話番号
張掖市(ちょうえき-し)は、中華人民共和国甘粛省に位置する地級市。 漢族、回族、ユグル族、チベット族など26の民族が住む。 張掖とは「国の臂掖を張り」(『漢書』地理志の応劭注)、西域に通じるという意味でつけられた名前だという。 歴史は古く、漢代に霍去病が匈奴を破り、以後シルクロード上の要衝となる。水と土がよく、産物も豊富なため「金の張掖」と称される。1986年12月に中華人民共和国国務院の公布で、国家歴史文化名城の第二陣38都市のうちの一つとなった。 1市轄区・4県・1自治県を管轄する。 張掖市の地図 この節の出典[1][2]
地理及び龍首山と内モンゴル自治区に接する。市域内には砂漠、ゴビ、草原、原始林など多様な自然景観がある。
民族
歴史
行政区画
市轄区:甘州区
県:民楽県・臨沢県・高台県・山丹県
自治県:粛南ユグル族自治県
甘州区民楽県臨沢県高台県山丹県粛南ユグル族
自治県(粛南ユグル族
自治県飛地)
年表
張掖専区(1949年-1950年)
1949年12月5日 - 甘粛省武威専区張掖県・山丹県・民楽県、酒泉専区臨沢県・高台県を編入。張掖専区が成立。(5県)
1950年5月25日
高台県・臨沢県が酒泉専区に編入。
張掖県・山丹県・民楽県が武威専区に編入。
張掖地区(1955年-2002年)
1955年10月10日 - 酒泉専区(8県3自治県1自治旗1鉱区)・武威専区(9県1自治県)が合併し、張掖専区が発足。(17県4自治県1自治旗1鉱区)
1955年12月26日 - 玉門鉱区が市制施行し、玉門市となる。(17県4自治県1自治旗)
玉門市が省直轄県級行政区となる。
1956年1月5日 - 景泰県・永登県が定西専区に編入。(15県4自治県1自治旗)
1956年1月7日 - 武威県の一部が永昌県に編入。(15県4自治県1自治旗)
1956年2月26日 - 武威県の一部が古浪県に編入。(15県4自治県1自治旗)
1956年3月9日 - 鼎新県
1956年4月3日 - エジン自治旗が内モンゴル自治区バヤンノール盟に編入。(14県4自治県)
1956年8月20日 - 定西専区永登県の一部が天祝チベット族自治県に編入。(14県4自治県)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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